18日
11時に四谷区民ホール集合とのことなので、
8時20分浜松駅発のこだまで上京。
品川駅から山手線で新宿、
丸ノ内線で新宿御苑駅まで。
今回の群青忌では、打ち合わせ段階から殆ど参加できず、
在京の先輩、後輩に頼りっぱなし。
本番でも特に出番はありません。
16時から蒲田の姐さんを迎えに行った。
なのでスタッフ集合写真には写らず。
蒲田の姐さんを会場にお連れしてロビーにいたら、
丁度先生のご家族が到着されたので、控室にご案内。
既に犬塚さんがいらっしゃたので、ご挨拶。
記念講演の準備に余念がないご様子でしたが、
友人でもある本多菊雄の芝居公演についてお心遣いを頂き有難うございました。
ロビーに戻ると今度は阿形会長が到着されたので控室にご案内。
札幌から来られた梶浦さんと一緒にお茶などお出ししていると、
続々来賓の方々が入ってこられた。
石川さんとは何年ぶりだろう、成田先生は私の主任弁護士でもあった、比国から来日されたヒロ山口さんとも、前回マニラでお会いして以来だ。
サムの盛田社長とは昨年の墓前祭以来。
皆さんに温かいお言葉をかけて頂き、本当に有難く思いました。
覚えていて頂けるというのは嬉しい事です。
懐かしい感情と共にとても優しい気持ちになれました。
そうこうしているうちに開演の時刻となり、
遅れて来場される方をご案内する為にロビーで待機。
来賓の方々のお話は途切れ途切れでしか拝聴できなかったので、
改めて録画で聞かせて頂きます。
無事終了し、直会へ行く方々とお別れし、
独り東京駅へ。
20日
浄発願寺に9時集合とのことで、
電車で行くか車で行くか悩んだが、
結局12年落ちのライフで行くことに。
雨の東名を400km往復できるか不安だったが、
結果問題なく走ってくれた。
4時起床で5時に自宅を出発。
途中富士川SAで休憩し、
8時半に伊勢原駅到着。
本多さんを乗っけて浄発願寺へ。
一番乗り。
蜷川へ電話すると降雨につき海老名で待機してたとの事。
塚越和尚にご挨拶して控え室になる茶屋の確認。
9時半に阿形会長が到着された。
11時からの法要にこんなに早く来られた。
恐らく雨での渋滞を見越しての事だと思われました。
阿形会長程の立場の方でもこんなに早く来られて待機されている。
本当に尊敬しているなどと私が言うのもおこがましいが、素晴らしい方。
私にはとても真似の出来ない生き方。
世間では暴対法やら何やらと喧しいが、
それらを作った国会議員の「大先生」などより本当に人間らしい真っ当な方だと思う。
ほぼ定刻に法要が始まった。
本堂は70人分の席が用意されていたが、
それでも足りず一部門下生は座布団で列席した。
ご焼香になり、順番に進んでいく。
自分の番が終わり、まだ外で待っている方もいたので、
一旦外へ出た。
その後墓前で線香を手向け終了。
先生のご子息・勇介君とは、18日に放映された映像の話をしたかったのだが時間がなく、
その代わりに会場で配布されたパンフレットに掲載された拙文に対して、
自分も同じ気持ちだと言ってくれた。
それを聞いていろいろ悩んだけど書いて好かったと思った。
横浜での食事会へ行かれる方々とお別れし、一路浜松へ。
帰宅して入浴していると、勇介君から入電。
と思ったら姐さんで、
「貴方の名前を出さなかったのは、蜷川門下ではなく身内だと思っているからなのよ」との事。
何やらさっぱり判らなかったが、
法要の最後に施主挨拶があり、姐さんが話した内容の事で、
私の名前がなかったのを勇介君が気遣ってくれ姐さんに電話するように言ってくれたらしい。
自分の焼香が終わって外に出たので聞けなかったのだ。
有難い事です。
18日も20日も記念写真には写っていないが、
そこにいた事は変わりない。
今後は「行事」としての性格の追悼はないと思うのだが、
門下生としてこれまでと変わりなく、
私を通して野村先生を広く知って頂けるように努めていきます。
posted by 丸三家パスタ at 10:10| 静岡 ☀|
Comment(2)
|
TrackBack(0)
|
丸三家パスタ「太った狼より痩せた豚」
|

|