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Risorgimento! 祖国再興

野村秋介の元秘書とその友人達が、思想・信条・性別に拘らず、図画・檄文・詩歌・犯行声明・散文・随筆・運動予定/報告を発表
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2012年09月12日

《反中共六人組=「暖流」糾弾闘争報告記=》

《反中共六人組=「暖流」糾弾闘争報告記=》

東京都が国土防衛のため、管轄外ながらも、尖閣諸島を購入する計画を進めている。

東京都知事の石原慎太郎さんの英断には敬意を表し、この計画が実現することに期待した。

ところが、中共に阿る民主党政権は、この計画を妨害する陰謀を企てている。

この件については、今後の闘争課題となるので、今回は述べない。

我が国土である尖閣諸島を侵略しょうとしている中共は、明らかに敵国である。

今年は、我が国が、その憎むべき敵国と国交を樹立してから40年となる。

侵略者との「友好」を唱える売国奴どもの動きも活発になってきている。

4月10日(火)には渋谷Bunkamuraで2012「中日国民交流友好年」開幕式in東京が開催された。

この式典を攻撃したことついては、すでに述べた通りだ。

また、すでにご紹介したことがあるが、日中国交樹立40年を記念して「暖流」というドキメンタリー映画が、中共で作られた(?)そうである。

その発表会のため、中日国交樹立40記念「暖流」組織委員会なる中共からの訪日団が、5月28日(月)から6月2日(土)まで、我が国を訪れた。

約50名もの訪日団で、ホテルニューオータニに宿泊しながら、東京都や山梨県で活動した。

予定では胡徳平さん(故・胡耀邦さんの長男)を訪日団の主役としていたが、訪日直前となり、胡さんの訪日は取り止めとなった。

胡さんが来る予定だったからか、内閣総理大臣との面会が予定されていた。

情報源の秘匿から詳細は明らかにしないが、当初は総理大臣との面会はなく、訪日直前になって決まったいきさつがある。

にもかかわらず、胡さんの訪日が中止となった。

つまりは総理大臣との面会が決まってから、胡さんの訪日を取りやめたということになる。

幸いなことに、新聞にある総理大臣の動静を見ると、面会はなかったようだが、本当にバカにしている話だ。

なお、我が国側の中心的な人物は川阪進治さん(アジア太平洋経済環境研究会会長)と川阪実由貴さん(株式会社エム・ケイ・ツー代表取締役)という2人である。

非常に遅くなって恐縮だが、我々が取り組んだ「暖流」糾弾闘争について、簡単にご報告する。

訪日団は5月28日(月)の夜、北京から羽田空港と成田空港に到着し、ホテルニューオータニに向かった。

我々は情報を収集し、翌日からの作戦を立案した。

訪日団は29日(火)、国会を見学してから、国会議員との懇親会、そして都内を観光した後、ホテルニューオータニに戻った。

夕方から「暖流」発表会、その後に歓迎パーティーが開かれた。

我々は、このパーティーに出席する議会屋や会社屋どもを糾弾するため、出撃した。

中共に媚びる民主党政権の走狗と堕ちた警察による過剰ともいえる厳重な警戒の下、パーティーに来る奴、帰る輩に対する糾弾を繰り返した。

訪日団は30日(水)に都内各所を訪問、31日(木)に山梨県を視察したが、我々は静観しつつ、情報を分析、戦術を練り直した。

山梨県まで出向いた理由だが、川阪さんが亡くなった金丸信さん(自民党の元副総裁)と関係が深いためとの情報もある。

訪日団は6月1日(金)、浅草などを廻った後、総理官邸を訪れた。

総理大臣との面会はなかったにしても、政府高官との接触はあったのだろう。

我々は朝から出撃、まずは浅草に向かい、雷門をはじめ浅草周辺で街宣を行った。

訪日団はバスから降りているため、特定はできなかったが、かなり多くの支那人が浅草を徘徊していた。

反中共の活動をしている支那人の女性たちから御礼を述べられる一幕もあった。

我々は浅草から総理官邸に先回りして向かったが、総理官邸の前で、川阪進治さんが乗る高級外車と中共訪日団を乗せた観光バスと遭遇した。

川阪さんの車を取り囲み、厳しく糾弾したところ、川阪さんは車を後退させ、進路を別にして、いずこかに消えてしまった。

川阪さんは訪日団を見捨てた訳ではないだろうが、残された訪日団は心細い思いをしたのではないか。

訪日団は総理官邸の後に銀座まで行ったが、我々は先回りして、買い物に寄るという店舗の前で待機した。

訪日団を発見したので糾弾闘争をはじめ、さらに彼らのバスを追跡しながら東京プリンスホテルに到着した。

ここでは壮行夕食会が開催されたが、我々は糾弾闘争を継続した。

2日(土)の朝、訪日団は羽田空港と成田空港から北京に出発した。

この訪日団に対する行事では、歓迎パーティーには公益財団法人国際研修交流協会、壮行夕食会には國際洪門日本國総會という団体が、川阪さんの団体とともに大きく関与していた。

中共は侵略者である。

侵略者と結ぶ輩は売国奴だ。

今回は侵略者と売国奴だけではなく、守銭奴も加わった兇宴といえる。

さて、反中共闘争を繰り返し展開している我々に対して、「白波五人男」ではないが、「反中共六人組」という新しい名前を警備当局からいただいた。

前回のBunkamuraに続き、超党派で集まった6人だからだそうだが、我々としては洵に名誉なことであり、本当に嬉しく思う。

この「暖流」糾弾闘争に関しては、「中國反共聯盟」と名乗る組織から、何時に何処という予定、行事の出席者、関係者の住所や電話番号など、かなり詳細な情報が寄せられた。

どのような組織なのかは不明だが、我々「反中共六人組」の行動を評価してくれたのだろう。

中國反共聯盟には感謝している。

「暖流」糾弾闘争では、多くの方々から温かい激励をいただき、ありがたく存じる。

今年は「反中共年」だから、まだまだ反中共闘争は続く。

9月7日(金)から9日(日)まで、東京のプリンス芝公園ザ・プリンスパークタワー東京において、2012東京「中国文化祭」が開催された。

在日支那人らの団体による実行委員会が主催するが、中共大使館が共催という名目でいることからも分かるように、実質的には中共主催の行事といえる。

これからも志気&勇気&元気を炎のように燃やして、国家民族のため頑張るので、ご助力のほど宜しくお願い申し上げる。

なお後日談になるが、「暖流」に関する記事が、『週刊実話』の8月9日号に掲載された。

ジャーナリストの山田直樹さんという方の短期集中連載「池田創価学会崩壊のXデー」最終回「NHKが放送するか池田大作名誉会長出演番組」という文中に出ている。

機会があれば、図書館などでご覧になっていただきたい。
posted by 丸三家パスタ at 23:10| 静岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 三澤浩一「連帯と孤立」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月12日

《侵略者と売国奴の凶宴》

2012「中日国民交流友好年」開幕式in東京なる式典が、4月10日(火)午後7時より渋谷Bunkamuraの オーチャードホールで開催された。

主催は「中日国民交流友好年実行委員会」と「中華人民共和国駐日本大使館」となっており、中共政府主 催の公式行事である。

主催者が侵略者であるならば、この式典に参列する日本人は売国奴となる。

侵略者や売国奴に対する糾弾闘争を展開するため、大日本愛国党、日本之會、平岡道場、靖國會(「靖」 の正字は「月」ではなく「円」)の同志らとともに渋谷へ出動した。

情報の収集が遅れ、急な呼び掛けとなったため、少人数での運動となった。

しかし、「蟷螂の斧」といえども、侵略者や売国奴どもに一撃を喰らわすことが出来たと自負する。

小さい運動だったが、大きな意義があったと信じている。

小は無ではなく、小を重ねれば大になる。

1は0とは違い、足していけば100にも、1000にもなり、諦めない限りは無限だ。

「継続」と「団結」は大きな力であると確信している。

なお、現地には我々だけではなく、主権回復を目指す会や排害社など戦闘的愛国市民運動の方々も来ら れ、我々とは別な形態での糾弾闘争を展開されていた。

彼ら彼女らの勇気と信念には感謝と尊敬の意を表する。

また、我々を激励するため、美しい淑女が桜の銘菓を差し入れてくれたり、支那人の暴漢かと錯覚するぐ らい絡んで来た青年が、我々の演説を聞くうちに賛同して、握手を求められたりと、嬉しい出来事もあっ た。

今年は反中共闘争にとって、まさに勝負の1年となる。

勝利を信じて、奮励努力するので、1人でも多くの同志のご助勢をお願いする。
posted by 丸三家パスタ at 21:43| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 三澤浩一「連帯と孤立」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月30日

《「平和記念館」の偏向展示の是正を求める国民の会》

《「平和記念館」の偏向展示の是正を求める国民の会》

所謂「100人斬り」の冤罪により中国で戦犯として銃殺された向井敏明少尉と野田毅少 尉のご命日である1 月28日、中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国民の会が、「 平和記念館」の偏向展示の是正 を求める国民の会に生まれ変わりました。

略称は今までと同じで、求める会です。

求める会は、百人斬り訴訟を支援する会を発展的解消して設立、今まで活動してきましたが、運動の拡大と組 織の強化を目指して、このたび改組することになりました。

1月28日(土)午後1時から靖国神社に昇殿参拝した後、午後1時30分から靖国会館「偕行の間」 において総会を開催しました。

はじめに国歌斉唱、つぎに向井・野田両少尉をはじめとする靖国神社に合祀されておられる護国の英 霊に捧げる黙祷、つぎに主催者挨拶を求める会の阿羅健一会長が行いました。

つぎにご来賓を代表して、衆議院議員で弁護士の稲田朋美先生(自由民主党/福井1区)からご挨拶をいただきました。

稲田先生は百人斬り訴訟の主任弁護人として、向井・野田両少尉の名誉を回復するため、すなわち祖国の栄 誉と尊厳を守るため、ご尽力された方です。

早ければ今春にも解散・総選挙が噂されている政局の中、選挙区で活動すべき土曜日にもかかわらず、 稲田先 生が出席してくださったのは心強い限りであり、稲田先生に感謝と尊敬の意を表します。

つぎにご来賓紹介となり、弁護士(百人斬り訴訟の弁護団長)の高池勝彦先生、拓殖大学客員教授の藤岡信 勝先生、向井少尉の次女の向井千恵子さま、靖国神社の元宮司の湯澤貞先生をご紹介しました。

つぎに求める会と連携している国会議員連盟の会長である衆議院議員の平沼赳夫先生(たちあがれ日本/岡 山3区)からのメッセージを読み上げました。

おわりに求める会の清水明彦事務局長による理事会報告が行われ、出席者全員の賛同を得て、正式に改組となりました。

総会終了後、休憩を挟み、午後2時から「これでいいのか公立博物館」を主題、「偏向展示と向き合う」 を副 題とする記念シンポジウムを開催しました。

パネリストは藤岡先生、建て直そう日本・女性塾幹事長の伊藤玲子先生(求める会理事)、阿羅会長、コー ディネーターは清水事務局長です。

シンポジウムは大成功と自画自賛してしまう程の素晴らしい出来映えでした。

撮影や録音がされていますので、近いうちに活字となり、広く伝わるものと存じます。

シンポジウムの後、求める会に限らず、志を同じくする団体の運動を紹介しました。

戦後日本における正義派でありながらも少数派でもある我々の武器は「団結と継続」と信じますので、 司会を務めた愚生の独断により、当日寄せられた情報は全て紹介した次第です。

以上、全ての行事が滞りなく終了できましたことをご報告します。

ちなみに求める会の事務局は下記の通りです。

ご賛同いただける方はご連絡くだされば、会報や案内を送付します。

入会金や年会費はございません。

愚生の携帯電話は090−2622−4242ですので、こちらでも結構です。

なお末尾に転載した拙稿は『求める会会報』第4号(平成23年12月)に掲載されたものですが、 ご高覧いただければ幸甚に存じます。

【三澤浩一(求める会理事)】


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「平和記念館」の偏向展示の是正を求める国民の会(会長・阿羅健一)

102−0093

東京都千代田区平河町2−16−5−302(高池法律事務所気付)

TEL03−3263−6041

FAX03−3263−6042

http://www.mukai-noda.com/

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「自損」よりも「自尊」の歴史観を

福岡県に元冦史料館という施設がある。県庁や警察本部などがならぶ福岡市博多区にある東公園の内になる のか、隣接しているのか、そこに存在する小さな史料館だ。 福岡県には何度も訪れているのだが、 残念ながら 未だ見学したことがない。インターネットで検索すると、民間の施設で、 土日や祝日しか開館していない。 元 冦史料館の展示内容がどのようなものなのかは、見たことがないので評価できない。しかし、 このような施設 が平日に開かれていないのは、もったいない気がする。 元冦の侵略を阻止した鎌倉武士の勇戦奮武は、我が国が世界に誇る輝ける歴史である。本来ならば、 民間で はなく、県や市…、いや、国の施設があるべきだ。 ちなみに愚生の携帯電話で「げんこう」と入力すると「現行」「原稿」「言行」としか漢字変換できない。し かし「わこう」では「和冦」と変換される。これはどういうなのだろう。「和冦」 ができて「元冦」ができない とは、いったい何を考えているのか。 「反日」と断ずべき中国の歴史記念館、そこに展示されている「歴史の改竄」といえる不当な写真を撤去す るように求めるため、本会は設立された。しかし、国外にある「反日」 歴史記念館だけではなく、国内にある 「自虐」歴史博物館に対する運動が必要なことを痛感する。 「自虐」の歴史観に基づく博物館は数多くある。だが、「自慢」の歴史観に基づく博物館というのは、いくつ あるのだろうか。「お国自慢」という言葉があるように、 祖国や故郷を愛して自慢するのは、人間として当然 だと思う。「自虐」「自罵」「自損」の歴史観を粉砕するだけではなく「自慢」 「自負」「自信」「自尊」の 歴史観を普及していかなければならない。 我が国に必要なのは、歴史の「検証」ではなく「顕彰」だ。子孫に伝えるのは「歴史」ではなく「国史」でな ければならない。同じ「じそん」ならば「自損」よりも「自尊」を語るべきである。


posted by 丸三家パスタ at 21:39| 静岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 三澤浩一「連帯と孤立」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

《民主党は敵ではない!賊だ!》

一人残らず討つべし!


民主党は敵ではない。かういふと、意外に感じる読者が多いだらう。では、味方なのかといへば、そんなはずはない。では、何だといふのか。民主党は賊である。
「敵」と「賊」とでは、根本的に違ふ。全く次元が異なる存在である。このことを明確かつ正確に認識しなければならない。
敵は、戦ふべき相手である。戦ふのだから、敵に対する憎しみの心が沸くのは当然だ。だが、それは憎悪といふよりも、敵愾といふべきだらう。しかし、敵に対しては尊敬することもある。また、戦ひの後、心の底から和解できたりもする。
しかし、賊は全く違ふ。賊とは戦ふだけしかない。戦ふといふ言葉は正確ではなく、賊は討つべきだけである。賊に抱くのは憎悪しかない。賊に対して侮蔑はするが、尊敬することは断じてできない。ましてや和解なぞ不可能である。
武士道や騎士道は、敵と戦ふには必要である。しかし、賊を討つには全く不要であり、逆に邪魔になるだらう。敵と戦ふには「敵愾の心」、賊を討つには「憎悪の念」、似ているやうでも、全く違ふものである。
民主党の罪悪について、今更ここで述べる必要はないだらう。民主党が国賊の巣窟であることに異論を唱へる者は、本紙の読者にはゐないからだ。右翼民族派愛国運動だらうが、真正保守派国民運動だらうが、我が陣営には、自民党に対する失望から、民主党を擁護したり、支持したりする姿勢が見える。
ヤルタ・ポツダム体制の下、YPジヤパンの商法支配所の地位に甘んじ、売国外交や亡国政策を繰り広げ、金権腐敗の限りを尽くした自民党は糾弾されるべきだ。これも異論はないだらう。だからといつて、民主党の免罪符にはならない。
民主党を擁護する人は、「民主党にも立派な人がゐる」とか、「政界再編に向けて連携しなければならない」とか、眠たいといふべきか、甘いといふべきか、そんなことを述べてゐる。そんなアホ臭いことで、どうするのか。民主党政権を打倒するためには、民主党だけではなく、民主党の党員の一人一人まで完全かつ絶対に全否定すべきである。
民主党が国賊の巣窟であることは前述したが、民主党の党員はどうか。国会議員から都道府県や市町村の地方議員、首長もゐる。専従の職員だけではなく、党費を払つて党を支へてゐる一般の党員もゐるだらうから、かなりの人数になる。それらは、二つに大別できる。それは「売国奴」と「卑怯者」にである。
「平成の義満」に成り損ねた小沢をはじめ、鳩山や菅といふ前と今の総理大臣、小沢に取つて代はつて最大実力者の地位を狙ふ仙石、その他大勢ゐる岡田とか、前原とか、野田とか、岡崎とか、何が何だか分からないやうな連中。これらは全て売国奴である。
保守派の集会などでは威勢良く「保守」を詐称しながら、小沢体制下では「見ざる聞かざる言はざる」を決め込んだ名前を記すのも汚らわしいの連中なぞは、全て卑怯者である。
民主党には、この二つの卑劣かつ愚劣な輩しかゐない。思ひ出すやうに付け加へるならば、党員と呼べるか否か分からない程度の支持者には売国奴でも、卑怯者でもない、何にも理解できない、理解しない輩もゐるだらう。「愚か者」といふ奴だ。この支持者までを含めれば、民主党には売国奴、卑怯者、愚か者の三つの輩しかゐないことになる。
ここで極めて私事になつてしまひ、紙面を使ふのが恐縮するが、ご報告することがある。
毎年二月十一日、紀元節奉祝式典が執り行はれてゐる。神道による紀元節祭、有識者による講演など、本紙でも報じられてきた式典だ。筆者は数年にわたり紀元節奉祝式典実行委員会の代表を務めてきたが、本年の式典を以て、代表も実行委員も辞任した。これにより、式典とも、実行委員会とも、完全に絶縁状態になつたことを明らかにしておきたい。理由は何か。一つしかない。実行委員会に民主党の党員、しかも一般の党員ではなく、地方議員がゐるからだ。経過については詳しく述べないが、委員を倶にできないことが唯一の理由である。
同じ理由により、新嘗を祝ふ集ひの実行委員も、時局戦略懇話会の幹事も辞めたことも、付け加へてご報告しておく。
広いやうで狭い人間関係において、誰の周辺にも民主党だけではなく、公明党や共産党の党員や支持者はゐるだらう。私的な分野において交流するのは仕方がないことであり、そこまで否定しない。筆者も親戚には創価学会はゐるし、さらにはシナ人と結婚してゐる者もいる。しかし、公的な分野においては交流を差し控えるべきだ。ましてや、運営の中枢に入れるとは言語道断である。
民主党は賊であるから、党員はもちろんのこと、その家族も同罪だ。女子供であらうと、皆殺しにすべきである。現実には無理かも知れないが、その覚悟だけは少しづつでも固めていかなければならない。
民主党を討つためには、最低限度の覚悟と節度を持つべきだと信じる。


※『国民新聞』第19160号(平成二十二年十二月二十五日)より転載
posted by 丸三家パスタ at 23:13| 静岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 三澤浩一「連帯と孤立」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

《山口二矢烈士五十年祭報告記》

《山口二矢烈士五十年祭報告記》


◎はじめに

山口二矢烈士への敬慕の想ひを語りたいと願つているのだが、まだ自分自身の中で整理がついてゐない。口を開いても、筆を握つても、激しい感情に流されるままになる。今しばらく時間を置いて、後日に語りたい。ここでは記録を述べるのみとする。
なほ、敬称については、山口二矢烈士を除き、全て省略した。ご海容を願ふ。


◎反共の鬼から護国の神へ

我が国民は昭和三十五年十一月二日、神の姿を見た。さらに二十日前の十月十二日、鬼の姿を見てゐる。山口二矢烈士である。
烈士は昭和三十五年十月十二日、売国奴の浅沼稲次郎を斬奸の刃によつて天誅を下した。そして十一月二日、練馬にある東京少年鑑別所で自決した。
浅沼の大罪については、今さら申すまでもない。この国賊を倒したことにより、我が国は赤色革命の脅威を取り除かれた。もちろん、天壌無窮の国体を戴く我が国において、赤色革命が成功することはない。赤色革命が起きなかつたのは、全て烈士の功績であるとはいはない。しかし、大きな功績があつたことは間違ひない。
烈士の功績は、元冦における鎌倉武士と同じである。世界最大最強の侵略主義覇権国家であつた元から、我が国を守つた大きな力は、神風であることはいふまでもあるまい。
では、何故、神風が吹いたのか。それは、日本が神国だからだ。神国だからこそ、八百万の神々の御加護があり、神風が吹いてくれたのである。しかし、神国だからといつて、何にもしないで、黙つてゐたのでは、神風は吹いてくれない。神風が吹いてくれたのは、亀山天皇様の祈りをはじめとする公武・官民・上下を超えた多くの国民の祈りがあつたことが大きい。
だからといつて、祈りだけで、国が救はれた訳ではない。神風が吹いてくれる前に敗北したり、戦ふ前に屈服したりするやうでは、話にもならない。神風が吹いてくれるまで、鎌倉武士による勇武なる奮戦があつたことを忘れてはならない。真摯な祈念と勇武な奮戦、この二つが神々に通じて、神風が吹いてくれたのである。
烈士は唯一人の力で、祖国の危機に際して、勇戦奮武した鎌倉武士と同じ……、いや、神風の役割を果たしたといつても過言ではあるまい。烈士は生きては反共と鬼となり、死しては護国の神となつたのだ。
前述した通り、烈士への想ひなどについては、ここまでとする。近いうちにあらためて紙面をいただき、思う存分に述べてみたい。


◎山口二矢顕彰会

山口二矢顕彰会は、烈士の大日本愛国党時代の仲間たちが結成した。祖国日本を愛する者の一人として、烈士に感謝と尊敬の誠を捧げるのは、当然のことだ。かつては先輩にあたる世代が中心であつたが、現在は後輩といふよりも子供の世代が多くなつてゐる。まもなく孫の世代になることだらう。この顕彰会が今日まで、墓参の世話をしたり、回忌法要を執り行つたりしてきた。
烈士の五十回忌法要が昨年の十一月二日、墓所がある寺院で執り行はれた。この法要の準備段階で、もつと正確にいへば数年前からになるが、烈士を敬慕する若者らによつて、五十年祭を斎行すべきであるとの意見が出てきた。五十回忌法要が滞りなく済んだことにより、五十年祭を斎行するんだといふ動きは、本格化した。
烈士の御誕生日である二月二十二日、山口二矢顕彰会をはじめとする有志が墓参した。墓前において、山口二矢烈士五十年祭を執り行ふため、山口二矢顕彰会を母体とする山口二矢烈士五十年祭事務局を正式発足させ、そのことを謹んで奉告した。
五十祭に際して、烈士を追悼顕彰するため、いくつかの計画を立てた。事業といふ呼び方が適切か不適切かを別にして、追悼と顕彰の事業を計画したといふことである。それは、御命日である十一月二日に五十年祭を斎行することを中核として、烈士の供述調書を出版すること、義挙当日である十月十二日に顕彰事業を実行すること、この二点を実現することであつた。
山口二矢顕彰会は「顕彰会」であり、「研究会」ではない。烈士の慰霊と顕彰を行ひ、烈士の思想と行動を後世に伝へるため、活動してゐる。さらには、烈士を冒涜する全ての言動に対しては、重大な決意を持つて対決する覚悟である。それが、山口二矢顕彰会なのだ。


◎『山口二矢供述調書』

烈士の供述調書を出版することについては、展転社の全面協力により、同社から『山口二矢供述調書』として出版していただいた。資料の提供など多くの協力をいただき、また出版の協賛もいただき、十一月二日に間に合はせることができた。
内容は、供述調書(昭和三十五年十一月一日分)、供述調書(昭和三十五年十一月二日分)、二矢の短い生涯―親の夢子の夢(父上の手記)、大空に会わん―二矢の死(父上の手記)、二矢忌(父上の手記)、あとがき(山口二矢顕彰会)である。烈士の二矢供述調書だけではなく、父上の手記も収録してあり、烈士の思想と行動だけではなく、人柄を知ることもできる貴重な資料といへる。
烈士の供述調書は、過去にも何回か発表されてゐるのだが、国会図書館などでも探すのが困難になつてゐる。今回の出版により、この点は完全に解消された。一人でも多くの方に読んでいただきたいと願つてゐる。


◎山口二矢烈士顕彰「売国奴を討て!」全国連帯愛国行動

山口二矢烈士の義挙から五十年となる十月十二日には、山口二矢烈士顕彰「売国奴を討て!」全国連帯愛国行動を全国各地の同志に呼びかけた。呼びかけ人は、桂田智司、坂田昌己、福田邦宏、舟川孝、細田政一、前谷祐一郎、森川照男の七名で、現在の愛国運動における最も行動的な中堅指導者である。
この檄に呼応した全国各地の同志らが集会、行進、演説会などを展開した。当日が連休明けになることから、連休中から行動することになつた。地域ごとに分散しての行動だつたため、単一の行動と見れば少人数だつたが、全国各地において展開できたことは大きな意義があつたと確信してゐる。
東京都では当日、中央区の常盤公園から千代田区の日比谷公園まで、徒歩行進を行つた。終点の日比谷公園には、義挙の現場である日比谷公会堂があり、その前での解散となつた。また、烈士が赤尾敏の演説を聞き、そのまま大日本愛国党の街宣車に飛び乗つたといはれてゐる数寄屋橋の交差点に近い千代田区の有楽町マリオン前では、長時間にわたる街頭演説会が開催された。
なほ、左翼諸君が当日、五十年前と同じやうな与野党党首演説会を日比谷公会堂において開催することを計画してゐたといふ。新聞が報じてゐた。だが、この集会は実現しなかつた。いや、「しなかつた」といふより「できなかつた」といふのが正確なのであらう。左翼諸君が、自分たちの大先輩の慰霊と顕彰を断念したのは、ある意味では「悲しい」ことである。左翼諸君の非情なる体たらくに比べて、我々は少数だつたとはいへども、全国各地での運動を展開できた。
さらに一言つけ加へるならば、十月十二日の行動では、国民儀礼において「戦没者および先覚志士の御霊」に対して黙祷を捧げるのではなく、「山口二矢烈士および浅沼稲次郎氏の御霊」に対して黙祷を捧げた。浅沼は憎むべき、討つべき敵であつたが、敢へて黙祷を捧げた。山口烈士の義挙当日は、浅沼の命日である。同じ日本人として黙祷を捧げることは、山口烈士の心に反しないことだと信じる。
顕彰事業ではないが、義挙の当日、義挙の時刻、僕らは義挙の現場に立ち会つた。十一月二日の下見のため、日比谷公会堂の壇上にゐたのである。偶然なのか、必然なのか。もちろん、その時、その場、黙祷を捧げたのはいふまでもない。


◎山口二矢烈士五十年祭

山口二矢烈士五十年祭は十一月二日午後六時から、日比谷公会堂において、千名を超える人々が参列した中で執り行はれた。平日にも関はらず、北は北海道から、南は九州から、全国各地から同志道友が馳せ参じてくれたのである。
式次第だが、司会は発起人の丸川仁が務め、開幕とともに事実上の開会を宣した。まづ開会に先立ち、発起人の桂田智司の指揮により、皇居遙拝、国歌斉唱を執り行つたり後、 先覚志士の御霊に黙祷を捧げた。そして、開会の辞を発起人の舟川孝が述べた。
太鼓の音が轟く中、斎主と祭員が着座、司会と典儀が交代して、山口二矢烈士五十年祭が開式した。斎主は福永武、祭員は高橋宏篤、大石真二、典儀は藏満順一といふやうに不二歌道会の皆様が奉仕してくださつた。裏方を取り仕切つてくれたのも、大東会館の細見祐介をはじめとする不二歌道会、大東会館学生寮の皆様であつた。
山口二矢烈士五十年祭は、始めに修祓、次に降神、次に献饌、次に祝詞奏上、次に遺詠を大東会館学生寮有志四名が奉誦。次に供述調書(抄)を崇城大学の森周作が奉読。次に神道夢想流杖術の演武を川名克実と神屋善四郎が奉納。次に山口烈士と縁が深い赤尾道彦、杉本カズ子と山田春湖、福田進からの祭電が披露された。
続いて玉串奉奠となり、斎主、祭主、親族として杉本尚武、来賓として山口烈士の本葬儀(同志葬)である「烈士山口二矢君国民慰霊祭」の発起人であつた志賀敏行(代理・吉田直紀)、山口烈士ら当時の若者を支援してゐた福田進(代理・福田邦宏)、大日本愛国党時代の同志であつた桑山照章、自衛隊官舎での友人(後輩)であつた神谷俊司、各地の発起人を代表して、北海道の前田伏樹、東北の坂田昌己、関東の三本菅啓二、甲信越の宮入三郎、北陸の森川照男、東海の黒崎忠彦、近畿の大島竜◆(「王」偏に「民」)、中国の田中弘幸、四国の谷田充、九州の福田雅光、参列者を代表して演武を奉納した川名克実と神屋善四郎が行つた。参列者は全員がそれぞれの場にて参拝した。
次に「青年日本の歌」を全員で合唱。次に撤饌、次に昇神となり、山口二矢烈士五十年祭は閉式した。太鼓の音が轟く中、斎主と祭員は退下し、典儀と司会は交代した。祭主の挨拶を岡田尚平が述べた後、閉幕となつた。
休憩の後、再び開幕。追悼講演を國學院大学神道文化学部教授の大原康男が行つた。次に閉会の辞を発起人の河原博史が述べ、聖寿万歳を発起人の阿形充規の先導により全員で三唱した。司会が事実上の閉会を宣して、山口二矢烈士五十年祭は滞りなく終了した。


◎自決の地へ

有志数十名は解散の後、大日本愛国党の街宣車を先頭にして十数台の自動車を連ね、「青年日本の歌」を拡声器から流しながら、練馬にある東京少年鑑別所に向かつた。いはゆる「練鑑」であり、山口烈士が亡くなった場所である。その正門において、黙祷、「青年日本の歌」合唱、聖寿万歳を執り行つた。


◎『山口二矢供述調書』出版奉告墓前法要

十一月十五日、祭主をはじめ事務局の役員が、山口烈士の墓所にお参りした。『山口二矢供述調書』刊行を墓前に奉告するためである。墓所が仏教寺院にあるので、こちらは仏式となつたが、僧侶の読経の中、墓前に奉告した。この墓前法要によつて、山口二矢烈士五十年祭の表立つた事業は一段落した。


◎をはりに

山口二矢烈士五十年祭に関する事業は全て終了した。「顕彰の事業は成功か?失敗か?」と問へば、成功となるだらう。しかし、「烈士の思想と行動を継承してゐるのか?」と問へえば、答へは厳しいものとなる。
「みんな、何をやつてゐるんだか」と、烈士は笑つてゐるはずだ。それは、五十年を過ぎた今でも、自分を敬慕する者たちがゐることを喜んでゐる微笑みである。
誉めてくれはしないが、喜んでくれてゐる。そう信じてゐる。


(『不二』平成二十二年歳末号より転載)
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2010年10月09日

《第9回9・29反中共デー東京大会ご報告》

《第9回9・29反中共デー東京大会ご報告》


平成22年9月29日(水)、第9回9・29反中共デー東京大会を開催しました。毎年9月29日は雨が降ることが多かったのですが、今年は絶好の野外活動日和となりました。水曜日という平日の昼間にもかかわらず、会場となった港区六本木の三河台公園には、300名を超える人々が集まりました。これは尖閣諸島を侵略しょうと企てている中共に対する我が国民の怒りによるものだと存じます。
反中共デー闘争は右翼民族派愛国陣営の闘士だけではなく、様々な立場の人が参加しています。現職の国会議員が馳せ参じてくれたことも何回かありました。老若男女を問わないだけではなく、民族や人種すら超越したこともあります。夫婦や親子での参加という微笑ましい光景もあります。お父さんとお母さんに手を繋がれた子供、お父さんと参加した女子高生など、今回も子供連れが目立ちました。
今年も例年通り、全国各地で反中共デー闘争が展開されました。当日は東京大会をはじめ、中部大会が名古屋で、関西大会が大阪で、九州が福岡で、26日(日)は北海道大会が札幌で、東北大会が仙台で、盛大かつ勇壮に開催されました。野外集会、街頭演説会、徒歩や車輛による行進、または中共大使館や総領事館に向けての糾弾行動など、それぞれが独自の方法で、反中共デー闘争を展開しました。また、神奈川県の川崎地区の同志らは当日、独自の行動で反中共デー闘争を展開しています。反中共デー闘争が“「中央」での「統合」”から“「全国」での「連帯」”へと、大きく発展していることが実感できます。これこそ理想的な共闘であると確信します。
東京大会の次第は、次の通りです。

[決起集会]
国民儀礼
9・29反中共デー宣言の朗読
共闘委員会の挨拶
連帯の挨拶
決議の採択
行進上の注意
シュプレヒコール

[行進]
三河台公園から広尾公園まで

[総括集会]
総括
今後の運動の説明
シュプレヒコール

以上です。
なお、解散した後には、有志が三々五々に中共大使館に赴き、各人が個人の資格と責任によって、糾弾行動を展開しました。
9・29反中共デー宣言および大会決議は、代表団が9月30日、内閣府に赴き、担当官を通じて、内閣総理大臣に提出しました。小泉内閣が退陣して以来、安倍〜福田〜麻生〜鳩山〜菅と6年連続で異なる総理大臣に提出するという異常な事態をあらためて実感することになりました。
大会決議は今年から、北海道、東北、東京、中部、関西、九州の6大会で同じ内容が採択された共同決議です。これは非常に画期的なことであり、高い評価を受けるものと確信します。また当日は、中部大会の代表団5名が上京され、同席しました。その後、東京大会の代表団と意見の交換を行い、それぞれが愛知県、岐阜県、福井県に帰りました。
西郷隆盛〜頭山満〜内田良平の道統に連なる我々は、維新日本と復興亜細亜の建設を志し、今後も全国各地の同志と連帯するだけではなく、台湾の独立や正名を志す人々、満州・南モンゴル・ウイグル(東トルキスタン)・チベットの解放を志す人々、さらに「中国」の民主化を志す人々とも力を合わせて、中共を打倒したいと願っております。勝利の日まで戦い続ける覚悟ですので、これからも同志各位のご協力ご侠援のほど宜しくお願い申し上げます。
【三澤浩一】


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


共同決議

本年11月2日は、山口二矢烈士の五十年祭である。山口烈士は昭和35年10月12日、国賊浅沼稲次郎に斬奸の刃を振るい天誅を下し、11月2日に自決された。浅沼は媚中派売国奴の巨魁であり、我が国を「反日」「共産」「中華」の三悪国家である中共(中国共産党=中華人民共和国)に売り渡そうとしていた。山口烈士の義挙は、侵略者や売国奴への正当防衛的反撃であり、中共の侵略を阻止したのである。我々は山口烈士の精神と行動を継承して、9・29反中共デー闘争に挺身することを誓う。
満洲、南モンゴル、東トルキスタン(ウイグル)、チベット…に対する侵略・虐殺・苛政。また台湾に対する侵略の野望。さらに中共に支配されている全ての人民たちの苦難。中共は、アジア全民族の敵、いや、人類の敵である。民主党政権には、中共に対する危機意識はあるのか。内閣総理大臣の交代を繰り返すのみではないか。
我々は草莽の志士として、祖国の危機を坐視する事は断じて出来ない。9・29反中共デーの旗の下、北海道・東北・東京・中部・関西・九州大会に参加した全ての同志が連帯して、内閣総理大臣に対して、次の事項を要求する。

一、中華人民共和国との国交を断絶せよ!

一、前項の実現まで、我が国の主権と安全を守る為、次の17点を速やかに実行せよ!

@靖国神社に正々堂々と正式かつ公式に参拝する事

A国立戦歿者追悼施設の建設計画の中止を国の内外に宣言する事

B「河野談話」「村山談話」「菅談話」という反日自虐談話を撤回する事

C教科書検定における「近隣諸国条項」を撤廃する事

D尖閣諸島および沖ノ鳥島の防衛に全力を尽くす事

E中共との防衛交流を即時中止する事

F東シナ海における海底資源の盗掘を阻止する事

G中共への全ての経済援助および技術協力を中止する事

H所謂チャイナ・スクールをはじめとする売国的外交官を追放する事

I中共の国民の入国を制限する事

J南京をはじめ中共各地に建設されている抗日記念館の歴史歪曲を是正させる事

K中共による侵略、弾圧、虐殺、脅威に苦しむアジア諸民族との連帯を表明する事

L危険な中共製品の輸入を禁止する事

M池袋チャイナタウン構想の如き「租界」建設計画の阻止を地元自治体に指導する事

Nどのような名目にかかわらず中共からの労働力を「輸入」しない事


O中共へ進出している日本企業に対して、中共からの撤退を指導する事

P外国人に地方参政権を付与する法案の検討および推進を白紙撤回する事

我々は、正義武断の名において、勝利の日まで闘う事を宣言し、ここに決議する。

第9回9・29反中共デー

平成21年9月26日

9・29反中共デー北海道大会

9・29反中共デー東北大会

平成21年9月29日

9・29反中共デー東京大会

9・29反中共デー中部大会

9・29反中共デー関西大会

9・29反中共デー九州大会

内閣総理大臣 菅直人 殿


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


第9回9・29反中共デー東京大会共闘委員会

秋山一成・荒岩宏奨・石田和久・市村悟・伊藤満・大口富美幸・大熊雄次・小曽戸清裕・加藤順一・河原博史・菊池慶雄・草壁悟・工藤正也・小針政人・坂田昌己・志村馨・杉山英雄・鈴木信行・鈴木浩己・貴田誠・武井美喜也・竹内恒夫・内藤芳弘・中上清志・中野順二・中野文勝・仲程通也・浜本英二・針谷大輔・福田和久・福田邦宏・舟川孝・三澤浩一・水谷浩樹・盛義一・山口一夫・山口秀明・山田一成・山田英智・横山孝平・横山幸男・吉田誠司・渡部健一
(新仮名五十音順/平成22年9月29日現在)

事務局

近藤勝博・中川幸右基・三澤浩一

電話03−3918−9524


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


山口二矢烈士五十年祭

[日時]
11月2日(火)午後6時開会(5時30分開場)

[会場]
日比谷公会堂

[参加費]
1000円

[事務局]
山口二矢顕彰会
電話03−3459−6555


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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2010年02月13日

《皇紀2670年「紀元節奉祝式典」ご報告》

《皇紀2670年「紀元節奉祝式典」ご報告》


紀元節おめでたうございます!

2月11日は紀元節です。
神武天皇さまが橿原の地におきまして御即位あそばされ、日本の国を肇られました。
紀元節は神武肇国の古を偲び、お祝ひ申し上げる日です。
このおめでたい日に交わす挨拶は「紀元節おめでたうございます」しかありません。
紀元節奉祝式典の会場となつた日本青年館の内外において、明るく元気な大きい声での挨拶が轟きました。

本年は皇紀2670年となります。
紀元節の佳き日に、志を同じくする皆様方とともに、奉祝と奉謝の赤誠を捧げることが出来ましたことを嬉しく存じます。
実行委員会だけではなく、ご参列の皆様も、敬神尊皇攘夷討奸の誓ひを新たにされたものと信じます。

第26回となる本年の式典ですが、厳粛かつ盛大に挙行することが出来ましたのは、ご参列者をはじめ、ご協賛者、ご協力頂きました皆様方のお陰さまと厚く御礼申し上げます。
特に、大東神社さま、神楽歌舞所さま(「舞」は正しくは「イ」に「舞」)には多大なご支援を毎年賜つてをり、謹んで感謝申し上げます。

簡略ではございますが、紀元節奉祝式典のご報告を申し上げます。

第26回の紀元節奉祝式典は、平成22年2月11日(祝/木)午後4時から「日本青年館」地下の中ホールにおいて挙行しました。
司会は、実行委員の長岡正剛が務めました。
先づ開式に先立ち、実行委員の石田和久の指揮により、皇居遙拝、橿原神宮遙拝、国歌斉唱を執り行ひました。
次に司会と典儀が交代し、紀元節祭が始まりました。
紀元節祭は、斎主を実行委員の福永武、祭員を大石真二さま、典儀を藏満順一さまが奉仕、次の次第で斎行しました。
斎主祭員着座
修祓の儀
降神の儀
献饌の儀
祝詞奏上
神武天皇即位建都の大詔奉読(奉読は神屋宗太郎くん)
浦安の舞奉納
紀元節の歌奉唱
玉串奉奠
撤饌の儀
昇神の儀
斎主祭員退下
祭典が滞りなく執り行はれた後、典儀と司会が交代しました。
10分の休憩の後、実行委員会代表の挨拶(実行委員会代表の三澤浩一)を申し上げました。
次に記念講演として、拓殖大学日本文化研究所客員教授である評論家の宮崎正弘先生から「日米中関係はどうなるのか」と題する御話を頂きました。
宮崎先生は中国ウオツチヤーの第一人者として知ら、内田良平研究会とともに昨年末『シナ人とは何か―内田良平の『支那観』を読む―』(展転社)を上梓されました。
中共の属国を目指すかのやうな売国政策を企てる民主党亡国政権の出現といふ危機的状況の中、宮崎先生の御話は非常に有意義な内容でした。
次に決議を採択しました(決議は下記/読み上げは実行委員の平岡元秀)。
聖寿万歳を神屋善四郎さまの先導により、全員で声高らかに唱へ、閉式となりました。

式典の後、会場を4階の宴会場「アルデ」に移し、直会を催しました。
司会である実行委員の石田和久の指揮による国歌斉唱、先覚志士への黙祷が執り行われ、実行委員会代表の三澤浩一の発声による乾杯の後、宮崎正弘先生を囲んでの和やかな祝宴を楽しみました。
お開きでは、大東神社の佐々木壽宮司さまの代理である高橋宏篤さまからご挨拶を頂き、高橋さまの先導により聖寿万歳を声高らかに唱へました。

なほ、開場から開会までの時間、式典会場に流れてゐた曲は「海道東征」(かいどうとうせい)です。
例年は「紀元節」(高崎正風・詞/伊沢修二・曲)でしたが、本年は「海道東征」としました。
この「海道東征」は、皇紀2600年(昭和15年)に奉祝曲として作られました。
北原白秋が作詞、信時潔が作曲の交声曲(カンタータ)です。
曲は以下の8章からなり、演奏時間は45分を超えます。
1.高千穂
2.大和思慕
3.御船出
4.御船謡
5.速吸と菟狭
6.海道回顧
7.白肩津上陸
8.天業恢弘
近年発行されたCDのアルバムに収録されてゐますので、比較的容易に聴くことが出来ます。

本年は寒風が吹き、氷雨が降り、さらに夕方からは雪が降るといふ予報が出てゐる悪天候でしたので、いつたい何名の方が来てくれるだらうかと危惧してをりました。
しかし、今回も昨年に引き続き、多くの方々がご来場され、大盛会となりました。
300席しかない会場でしたが、満席となつた後も入場される方々が続出しました。
式次第の小冊子をはじめ各種の資料を入れた紙袋を350部も用意したのですが、全て配布しつくしました。
申し訳ないことですが、その後に入場した方々は、式次第のみの配布となりました。
実行委員会の心配を吹き飛ばす約400名もの方々が参列され、嬉しい悲鳴を上げてしまひました。

昨年も申し上げましたが、我々は興行師ではありませんので、式典の成功といふ結果に満足はしてをりません。
祖国復興のため、力が及ばず斃れることがあらうとも、力を尽くさずして挫けることがないやう、勝利の日まで戦ひ抜く覚悟です。
同志同憂の皆様方の今後益々のご支援ご協力のほど宜しくお願ひ申し上げます。


【三澤浩一】


☆☆☆☆☆☆☆


決議

一、人皇初代 神武天皇の「天業恢弘・八紘為宇」といふ肇国の理念は、日本悠久の大使命である。我らは、皇国民たるの感激を新たにし、平成の大御代の隆盛を祈念すると共に、使命達成に奮迅健闘する。

一、紀元節は、明治維新における「諸事 神武創業ノ始ニ原キ」の精神を集約した祝日である。我らは、国体護持の信念の下、明治維新の理想を今日に受け継ぎ、道義国家再建へ粉骨砕身する。

一、我が国史を省みるに、内外深刻の危急に際しては、必ず神武肇国の理想を回想し、危機克服の原理として来た。我らは、神州の不滅を確信し、民主党亡国政権の出現といふ国難に怯むことなく、天壌無窮の皇運を扶翼し奉るために挺身敢闘する。

一、本年は、韓国併合百年である。我らは、維新日本・復興亜細亜の聖戦に殉じられた先覚志士の道統を継承することを誓ひ、敬神尊皇攘夷討奸の大義に力行懸命する。

一、本年は、皇紀二千六百七十年である。我らは、何ら精神の実を伴ふことなく喧伝される西暦の流行に対して、我が皇暦の尊厳と意義を広く内外に訴へると共に、皇紀二千七百年が国家行事として慶賀奉祝されることを目指し奮励努力する。

右、決議する。

皇紀二千六百七十年
平成二十二年二月十一日

紀元節奉祝式典


☆☆☆☆☆☆☆


紀元節奉祝式典実行委員会
〒170-0003
東京都豊島区駒込6の27の11(三澤方)
電話03-3918-9524
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2024/


☆☆☆☆☆☆☆
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2009年10月21日

《第8回9・29反中共デー東京大会ご報告》


平成21年9月29日(火)、第8回9・29反中共デー東京大会を開催しました。ご報告が遅くなってしまい、恐縮に存じますが、ご海容ください。
9月29日は毎年のように雨が降ることが多いのですが、今年は曇り空のまま、途中パラパラと小雨らしきものが落ちてきた気がする程度と、何とか天気は持ちこたえてくれました。火曜日という平日の昼間にもかかわらず、また怪しげな天候にもかかわらず、会場である港区六本木の三河台公園には開会前から200名を超える人々が集まりました。毎年のことですが、反中共デー闘争は、集会よりも行進の方が人数が多くなります。これは行進の最中、我々の主張に共鳴して、飛び入り参加をする人々が多数いるからだと存じます。最終的には300名の参加者を得ることになりました。
本年も昨年と同じく全国各地で反中共デー闘争が展開されました。当日には東京をはじめ北海道(札幌)・中部(名古屋)・九州(福岡)において、27日(日)には東北(仙台)・関西(大阪)において、野外集会や街頭演説会、徒歩や車輛による行進、中共大使館や総領事館に向けての糾弾行動など、それぞれが独自の方法で、反中共デーの大会を開催しました。また、神奈川県川崎地区の同志らは当日、独自の反中共デー闘争を展開しました。全国各地の参加者は1000名を超えています。左翼ならば1万名を動員したと大宣伝する人数です。反中共デー闘争が「中央」「統制」から「全国」「連帯」へと、大きく発展していることが実感できます。これこそ理想的な共闘であると確信します。
反中共デー闘争は民族派愛国陣営の闘士だけではなく、いろいろな人が参加しています。老若男女や民族人種を問いません。夫婦や親子での参加という光景は微笑ましく、心が和やかになります。子供の姿を見ることもありますが、元気な子供を見ると、我が国の未来を考える時、この子らは非常に頼もしく、洵に心強く感じます。
東京大会は三河台公園に集合して、野外集会と徒歩行進を行いました。次第は次の通りです。
[決起集会]
国民儀礼
9・29反中共デー宣言
共闘委員会挨拶
北海道大会からの連帯声明
東北大会からの連帯声明
中部大会からの連帯声明
関西大会からの連帯声明
九州大会からの連帯声明
台湾からの連帯声明(『台湾の声』編集長の林建良さま)
満洲からの連帯声明(満洲国臨時政府首相のニューグール・ミンビョンさま)
南モンゴルからの連帯声明(モンゴル自由連盟党幹事長のオルホノド・ダイチンさま)
ウイグルからの連帯声明(日本ウイグル協会会長のイリハム・マハムテイさま)
チベットからの連帯声明(桐蔭横浜大学教授のペマ・ギャルポさま)
決議の採択
行進上の注意
シュプレヒコール
[行進]
三河台公園から広尾公園まで
[総括集会]
総括
シュプレヒコール
以上です。
なお、解散した後には、有志が三々五々に中共大使館に赴き、糾弾行動を展開しました。
9・29反中共デー宣言および大会決議は、代表団が9月30日、内閣府に赴き、担当官を通じて、内閣総理大臣に提出しました。小泉・安倍・福田・麻生・鳩山と5年連続で違う総理大臣に提出するという出来事に、「戦後日本」という異常事態を痛感せざるを得ませんでした。
今後も全国各地の同志と連帯するだけではなく、台湾の独立や正名を志す人々、満州・南モンゴル・ウイグル(東トルキスタン)・チベットの解放を志す人々、「中国」の民主化を志す人々とも力を合わせて、中共を打倒したいと願っております。勝利の日まで戦い続ける覚悟ですので、これからも同志各位のご協力ご侠援のほど宜しくお願い申し上げます。
【三澤浩一】


☆☆☆☆☆☆☆


決議

中共(中国共産党=中華人民共和国)において、昨年は北京オリンピックが開催された。来年は上海万博が開催されようとしている。中共の国威と国力を内外に示す政治的儀式といえるが、どのような宣伝工作を繰り広げても、中共が有史以来最凶の悪魔国家であることは明白である。満洲、南モンゴル、東トルキスタン(ウイグル)、チベット…に対する侵略・虐殺・苛政。また台湾に対する侵略の野望。さらに中共に支配されている全ての人民たちの苦難。中共は、アジア全民族の敵、いや、人類の敵と断言する。
「反日」「共産」「中華」の三悪国家である中共は、我が国にとって明確な敵国である。自民党から民主党に政権は交代したが、新しい政権に中共に対する危機意識はあるのか。我々は草莽の志士として、祖国の危機を坐視する事は断じて出来ない。
9・29反中共デーの旗の下、我々は北海道(札幌)・東北(仙台)・中部(名古屋)・関西(大阪)・九州(福岡)大会の同志とともに、内閣総理大臣に対して、次の事項を要求する。

一、中華人民共和国との国交を断絶せよ!

一、前項の実現まで、我が国の主権と安全を守る為、次の18点を速やかに実行せよ!

@靖国神社に正々堂々と正式かつ公式に参拝する事

A国立戦歿者追悼施設の建設計画の中止を国の内外に宣言する事

B「河野談話」「村山談話」という反日自虐談話を撤回する事

C教科書検定における「近隣諸国条項」を撤廃する事

D尖閣諸島および沖ノ鳥島の防衛に全力を尽くす事

E中共との防衛交流を即時中止する事

F東シナ海における海底資源の盗掘を阻止する事

G中共への全ての経済援助および技術協力を中止する事

H所謂チャイナ・スクールをはじめとする売国的外交官を追放する事

I中共の国民に対する査証の免除を取り止める事

J中共から来た不良分子を取り締まり、国外に追放する事

K南京をはじめ中共各地に建設されている抗日記念館の歴史歪曲を是正させる事

L中共による侵略、弾圧、虐殺、脅威に苦しむアジア諸民族との連帯を表明する事

M危険な中共製品の輸入を禁止する事

N上海万博をボイコットする事

O池袋チャイナタウン構想の如き「租界」建設計画の阻止を地元自治体に指導する事

Pどのような名目にかかわらず中共からの労働力を「輸入」しない事

Q中共へ進出している日本企業に対して、中共からの撤退を指導する事

我々は、正義武断の名において、勝利の日まで闘う事を宣言し、ここに決議する。

平成21年9月29日

第8回9・29反中共デー東京大会


☆☆☆☆☆☆☆


第8回9・29反中共デー東京大会共闘委員会

相澤淳・秋山一成・荒岩宏奨・石田和久・石原保二・市村悟・伊藤満・大口富美幸・大熊雄次・大塚光晴・小曽戸清裕・加藤順一・河原博史・菊池慶雄・工藤正也・小針政人・坂田昌己・志村馨・杉山英雄・鈴木信行・鈴木浩巳・竹内恒夫・佃裕一・内藤芳弘・中上清志・中野順二・仲程通也・針谷大輔・平澤次郎・福田和久・福田邦宏・舟川孝・三澤浩一・水谷浩樹・皆川義隆・盛義一・森浩二・柳川優・山口一夫・山口秀明・山田一成・横山孝平・横山幸男・吉田誠司・渡邉淳司・渡部健一
(新仮名五十音順/平成21年9月18日現在)


事務局

近藤勝博・中川幸右基・三澤浩一
TEL/FAX03-3918-9524
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2009年02月15日

《皇紀2669年「紀元節奉祝式典」ご報告》

《皇紀2669年「紀元節奉祝式典」ご報告》


紀元節おめでたうございます!

明るく朗らかで元気な大きい声が、天高く轟きました。
2月11日は紀元節です。
神武天皇さま肇国の偉業を偲び、お祝ひ申し上げる日です。
神武天皇さまが橿原の地におきまして御即位あそばされてから、本年で2669年となります。
天皇陛下が御即位20年をお迎へ遊ばされた本年、紀元節の佳き日に、志を同じくする皆様方も、奉祝と奉謝の赤誠を捧げ、尽忠報国の誓ひを新たにされたものと信じます。

第25回の節目となる本年の式典ですが、厳粛かつ盛大に挙行することが出来ましたのは、ご参列者をはじめ、ご協賛者、ご協力頂きました皆様方のお陰様と厚く御礼申し上げます。
特に、大東神社さまには多大なご支援を毎年賜つてをり、謹んで感謝申し上げます。
また、実行委員会の不手際が重なり、多くの皆様方にはご迷惑をおかけしたことと存じます。
何卒ご海容くださいますやう伏してお詫び申し上げます。

簡略ではございますが、紀元節奉祝式典のご報告を申し上げます。

第25回の紀元節奉祝式典は、平成21年2月11日(祝/水)午後4時から「日本青年館」地下1階の中ホールにおいて挙行しました。
先づ開式に先立ち、司会を務める実行委員の石田和久の先導により、皇居遙拝、橿原神宮遙拝、国歌斉唱を執り行ひました。
次に司会と典儀が交代し、紀元節祭が始まりました。
紀元節祭は、斎主を実行委員の福永武、祭員を実行委員の高澤一基、典儀を実行委員の細見祐介が奉仕、次の次第で斎行しました。
斎主祭員着座
修祓の儀
降神の儀
献饌の儀
祝詞奏上
神武天皇即位建都の大詔奉読(奉読は実行委員の荒岩宏奨)
浦安の舞奉納
紀元節の歌奉唱
玉串奉奠
撤饌の儀
昇神の儀
斎主祭員退下
祭典が滞りなく執り行はれた後、典儀と司会が交代しました。
10分の休憩の後、主催者代表挨拶(実行委員会代表の三澤浩一)を申し上げました。
次に記念講演として、前の航空幕僚長である田母神俊雄将軍から「日本は侵略国家であつたのか」と題する御話を頂きました。
現在の日本で、多くの国民から尊敬の念をこめて「閣下」と呼ばれる人物は、田母神将軍唯1人かと存じます。
「日本が誇る武人」である田母神将軍の熱誠あふれる御話は、時には過激であり、時には愉快であり、思はず時間を忘れてしまふほどでした。
さらには会場からの要望もあり、田母神将軍は時間を延長されて御話を続けてくださいました。
次に決議を採択しました(決議は下記を参照/読み上げは実行委員の平岡元秀)。
聖寿万歳を世話人の森田忠明の先導により全員で声高らかに唱へ、閉式となりました。

今回は、講師をお引き受けくださいました田母神将軍を支持する多くの方々がご来場され、「超」がつくほどの大盛会となりました。
300席しかない会場でしたが、満席となつた後も入場される方々が続出したため、会場の通路だけでなく、ロビーや廊下にまで立たれて参列される方々が多々いらつしやいました。
式次第の小冊子は座席数の倍以上となる700部も用意したのですが、全て配布しつくしてしまひ、残部がなくなるほどです。
申し訳ないことですが、入場すら出来ず、また資料を受け取ることも出来ず、お帰りになられた方々も多々いらつしやいました。
そんな状況ですから、正確な来場者数は把握出来ず、嬉しい悲鳴を上げてしまひました。
式典は大成功でしたが、我々は興行師ではありませんので、この結果に満足はしてをりません。
決議で述べた通り、祖国復興に向けた思想戦争は、勝利の日まで継続されます。
「決議」を採択したのではなく、「決意」を表明したのだと信じます。
同志同憂の皆様方の今後益々のご支援ご協力のほど宜しくお願ひ申し上げます。

【三澤浩一】


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決議

一、人皇初代 神武天皇の「天業恢弘・八紘為一」といふ肇国の理念は、日本悠久の大使命である。我らはこの理念に思ひを致すと共に、平成の大御代の隆盛を祈念し、使命達成に奮迅健闘する。

一、本年は、吉田松陰命をはじめ明治維新の志士たちが、安政の大獄に殉難されてから150年である。紀元節は、明治維新における「諸事 神武創業ノ始ニ原キ」の精神を集約した祝日である。我らは明治維新の理想を今日に受け継ぎ、回天への決意を新たにする。

一、2月11日は、占領下に廃止された「紀元節」を取り戻さうとする、心ある国民の広範かつ真摯な努力により、復活した祝日である。我らは紀元節復活運動に挺身敢闘された先人の偉業を顕彰し、その志の継承を誓ふ。

一、現下の祖国は、半独立国・半植民地の醜状にある。この元凶は、日本国憲法および東京裁判流自虐史観である。我らは国体護持の信念の下、真姿日本の顕現を目指し、道義国家再建へ粉骨砕身する。

一、天皇陛下におかせられては、本年1月7日に御在位20年を御迎へ遊ばされた。我らは皇国民たるの感激を新たにし、欣然奉祝申し上げると共に、奉謝の赤誠を捧げ、神州の不滅を確信し、天壌無窮の皇運を扶翼し奉るために力行懸命する。

右、決議する。

皇紀2669年
平成20年2月11日

紀元節奉祝式典


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紀元節奉祝式典実行委員会
〒170-0003
東京都豊島区駒込6の27の11(三澤方)
電話03-3918-9524
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2024/


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2008年10月31日

《第7回9・29反中共デー東京大会ご報告》

《第7回9・29反中共デー東京大会ご報告》


9月29日、第7回9・29反中共デー東京大会が開催されました。
すでに1ヵ月が過ぎ、今更という気がしますが、簡単にご報告します。
ご報告が遅くなり過ぎてしまい、恐縮に存じますが、ご海容ください。

9月29日は月曜日という平日の昼間にもかかわらず、また前日から雨が降り続けているにもかかわらず、会場である港区六本木の三河台公園には200名を超える人々が集まりました。
正直な話として、嬉しい誤算です。
毎年のことですが、反中共デー闘争には民族派愛国陣営の闘士だけではなく、いろいろな立場の人が参加しています。
本年は、参加者の中に小学生の姿が何人もありました。
これは秋の運動会の季節でもあり、前日の日曜日に運動会が開かれたため、その代休であったのではないかと推測できます。
親子での参加という光景は微笑ましく、心が和やかになると同時に、我が国の未来を考える時、この子らは非常に頼もしく、洵に心強く感じます。

本年も昨年と同じく全国各地で反中共デー闘争が展開されました。
当日には東京をはじめ、中部(名古屋)、関西(大阪)、九州(福岡)において、別日には東北(仙台)において、野外集会や街頭演説会、徒歩や車輛によるデモ行進、中共大使館や総領事館に向けての糾弾行動など、それぞれが独自に反中共デーの大会を開催しました。
反中共デー闘争が「中央での共闘」(統合)から「全国での連帯」(連合)へと大きく発展していることが実感できます。

東京大会は三河台公園に集合して、野外集会と徒歩行進を行いました。
決起集会では、国民儀礼、9・29反中共デー宣言、共闘委員会挨拶、東北大会の同志からの連帯声明、中部・関西・九州の各大会からの連帯声明(代読)、アメリカなどに拠点を置く満州国臨時政府のニューグール・ミンビョン首相からの連帯の表明(代読)、決議の採択、行進上の注意、シュプレヒコールの説明と練習が行われました。
決起集会の後は、三河台公園から広尾公園までのデモ行進、そして広尾公園で総括集会を開き、総括とシュプレヒコールを行い、解散となりました。
なお、解散した後には、有志が三々五々に中共大使館に赴き、抗議行動を展開しました。

本年は、台湾やドイツのマスコミが、テレビカメラを回しながら取材していました。
どのような報道がされたのか?確認しておりませんが、分かる方がいたらご教示いただければ幸甚に存じます。
毎年のように我が国のマスコミは、我々の運動を黙殺していますが、海外では注目されているようです。
このような現象は喜んでいいやら、怒っていいやら、複雑な心境です。

・29反中共デー宣言および大会決議は、代表団が9月30日、内閣府に赴き、担当官を通じて、内閣総理大臣に提出しました。
3年連続で、新しい総理大臣に提出するという出来事に、国家の非常事態を痛感せざるを得ませんでした。

今後も全国各地の同志と連帯するだけではなく、台湾の独立や正名を志す人々、満州・南モンゴル・東トルキスタン・チベットの解放を志す人々、「中国」の民主化を志す人々とも力を合わせて、中共を打倒したいと願っております。
勝利の日まで戦い続ける覚悟ですので、これからも同志各位のご協力ご侠援のほど宜しくお願い申し上げます。


【三澤浩一】


☆追伸☆
「関西大会からの連帯声明」を代読する予定でした中村宏樹同志が大会を欠席、媚中派売国奴河野洋平に対して自決勧告を行うため、日本刀などを携え、自民党に乗り込もうとして逮捕されたのは、ご承知のことと存じます。
中村同志の義挙を聞いた多くの同志が、中村同志を激励するため、麹町警察署に集結しました。
中村同志の対して感謝と尊敬と連帯の意を表します。


☆☆☆☆☆☆☆


決議

侵略と苛政の元凶である中国共産党および中華人民共和国。中共の犠牲者は多々いる。満州、南モンゴル、東トルキスタン、チベット…に対する侵略・苛政・虐殺。また台湾に対する侵略の野望。中共は、アジア全ての民族の敵、いや、人類の敵である。
今夏、中共においてオリンピックが開催された。この北京オリンピックが平和や健康とは全く無縁であり、中共の国威発揚に利用された政治大集会であった事は明白である。北京オリンピックのボイコットを叫び続けた我々こそが、正義であった事は証明された。
昭和47年9月29日、我が国は中共との国交を樹立したが、両国の関係が正常かつ友好的であった事はない。我が国に対する中共による主権侵害や内政干渉が繰り返されてきた。我が国は現在、中共による侵略という重大な危機に直面している。
我々は草莽の有志として、この祖国の危機を坐視する事は断じて出来ない。「反日」「共産」「中華」の三悪国家である中共は、我が国にとって明確かつ危険な敵国である。9月29日は「日中国交正常化」を祝う日ではない。中共との国交断絶を目指し、闘いを誓う日である。9・29反中共デーの旗の下、我々は「打倒中国共産党」「日中国交断絶」「中華覇権主義排撃」「まもれ!尖閣諸島」を雄叫び、起ち上がった。
我々は、日本国政府の代表である内閣総理大臣に対して、次の事項を要求する。

一、中華人民共和国との国交を断絶せよ!

一、前項の実現まで、我が国の主権と安全を守る為、次の18点を速やかに実行せよ!

@靖国神社に正々堂々と正式かつ公式に参拝する事

A国立戦歿者追悼施設の建設計画の中止を国の内外に宣言する事

B尖閣諸島および沖ノ鳥島の防衛に全力を尽くす事

C中共との防衛交流を即時中止する事

D東シナ海における海底資源の盗掘を阻止する事

E教科書検定における「近隣諸国条項」を撤廃する事

F中共への全ての経済援助および技術協力を中止する事

G所謂チャイナ・スクールをはじめとする売国的外交官を追放する事

H中共の国民に対する査証の免除を取り止める事

I不良「中国」人を取り締まり、追放する事

J南京をはじめ各地に建設されている抗日記念館の歴史歪曲を是正させる事

K中共による侵略、弾圧、虐殺、脅威に苦しむアジア諸民族との連帯を表明する事

L危険な「中国」製品の輸入を禁止する事

M上海万博をボイコットする事

N池袋チャイナタウン構想などの建設阻止を地元自治体に指導する事

Oどのような名目にかかわらず中共からの労働力を「輸入」しない事

P中共に進出している日本企業に対して、中共からの「撤退」を指導する事

Q自民党が推進している1000万人移民受け入れ構想の中止を指示する事

我々は、正義武断の名において、勝利の日まで闘う事を宣言し、ここに決議する。

平成20年9月29日

第7回9・29反中共デー東京大会


☆☆☆☆☆☆☆


9・29反中共デー東京大会共闘委員会

相澤淳・秋山一成・荒岩宏奨・石田和久・市村悟・伊藤満・遠藤雅三・大口富美幸・大熊雄次・大塚光晴・岡田浩・小曽戸清裕・鹿島政晴・加藤順一・河原博史・菊池慶雄・草壁悟・工藤正也・小針政人・坂田昌己・志村馨・鈴木信行・鈴木浩巳・竹内恒夫・内藤芳弘・中上清志・中野順二・針谷大輔・福田和久・福田邦宏・福田俊幸・福田浩和・舟川孝・三澤浩一・水谷浩樹・皆川義隆・村松秀昭・森浩二・柳川優・山口一夫・山口秀明・山田一成・横山孝平・横山幸男・吉田誠司・渡邉淳司・渡部健一
(新仮名五十音順)

事務局
近藤勝博・中川幸右基・三澤浩一
TEL/FAX03-3918-9524(三澤方)
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2008年08月10日

《北京オリンピックが開幕するとも》

8月8日、北京オリンピックが開幕されてしまいました。
参加した全ての国々の選手と役員、そして観客の安全を、まず第一に祈ります。
中華思想と共産主義という人類最凶の二大悪魔思想に呪縛されている中華人民共和国での開催とはいえ、それぞれの国家を代表する選手たちが、スポーツマン・シップに則り、正々堂々と力と技を競うことを願ってやみません。
たしかに北京オリンピックは開幕されましたが、いまだ「北京オリンピック反対」の声は止むことはなく、さらに熱烈に大きくなっています。
民族派愛国運動陣営では、8月3日(日)から9日(土)までの1週間を〈北京オリンピック反対週間〉と意義付けて、連日「北京オリンピック反対」運動を展開しました。
3日には〈北京オリンピックボイコット国民大会〉が開催され、渋谷駅前での街頭演説会、宮下公園での野外集会、日本オリンピック委員会がある岸記念体育会館へ向けて徒歩での示威行進…と、昼から夜まで有意義な運動を展開しました。
4日は渋谷や新橋などで、「北京オリンピック反対」を訴える演説会を開催されました。
5日には〈8・5北京五輪ボイコット運動有志の会〉が、6日には〈8・6北京五輪ボイコット運動有志の会〉が、7日には〈8・7北京五輪ボイコット運動有志の会〉が開催され、前日と同様の集会および行進が繰り返しました。
北京オリンピック開幕当日の8日には〈北京オリンピック反対共闘行動〉が開催され、演説会、集会、行進と、昼から夜まで渋谷の街に「北京オリンピック反対」の雄叫びを轟かせました。
9日には〈8・9北京オリンピック反対国民大会〉が開催され、この日も演説会、集会、行進が行われました。
反中共デーに代表されるように数年前から、反中共闘争は盛り上がりを見せています。
昨年からは若い同志たちを中心にして、北京オリンピックボイコット闘争が開始され、今日まで継続して行われて来ました。
さらに、この1週間は〈北京オリンピック反対週間〉として、毎日連続しての運動を展開して来ました。
この〈北京オリンピック反対週間〉は、民族派愛国運動の歴史に一つの金字塔を打ち立てた壮挙といえます。
猛暑日や真夏日、また雷雨という悪条件の中、延べ1000名を超える同志が参加してくれたことは、誠に心強い限りです。
北京オリンピックの「辞退」や「中止」は勝ち取れませんでしたが、「失敗」という評価を与えるため、これからも北京オリンピック反対運動を継続していかねばなりません。
北京オリンピックが閉幕しても、まだまだ反中共闘争が続きます。
いつの日か、中華人民共和国が崩壊し、所謂「中国」が正常な国家となり、その新生「中国」が、「中国」からの独立を勝ち取ったチベットや東トルキスタンや南モンゴルなどの国々が、さらには中華民国なる亡霊から解放された台湾が、これらの国々が各々の国旗を先頭に入場するオリンピックが開催される日が来ることを信じて、明日からも戦って参りましょう。
【三澤浩一】
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2008年03月06日

《紀元節奉祝式典ご報告》

《紀元節奉祝式典ご報告》


皇紀2668年の本年も、紀元の佳節たる2月11日 神武天皇さま肇国の古を偲び、第24回紀元節奉祝式典を開催致しました。
平成20年2月11日午後7時から、「すみだリバーサイドホール」におきまして、300名もの方々が参列され、厳粛かつ盛大に挙行することが出来ました。
ご参列者をはじめ、ご協賛者、ご協力頂きました皆様方のおかげさまと厚く御礼申し上げます。
特に大東神社さまには多大なご支援を毎年賜つてをり、感謝申し上げます。
3月に入つてからとなり、洵に恐縮とは存じますが、簡単なご報告を申し上げます。

先づ開式に先立ち、司会を務める実行委員の荒岩宏奨の先導により、皇居遙拝、橿原神宮遙拝、国歌斉唱を執り行ひました。
次に司会と典儀が交代し、紀元節祭が始まりました。
紀元節祭は、斎主を実行委員の福永武、祭員を実行委員の高澤一基、典儀を大東会館学生寮の清水建志が奉仕、下記の次第で斎行致しました。
斎主祭員着座
修祓の儀
降神の儀
献饌の儀
祝詞奏上
神武天皇即位建都の大詔奉読(奉読は実行委員の細見祐介)
浦安の舞奉納
紀元節の歌奉唱
玉串奉奠
撤饌の儀
昇神の儀
斎主祭員退下
祭典が滞りなく執り行はれた後、典儀と司会が交代致しました。
次に主催者代表挨拶(三澤浩一)を行ひました。
次に記念講演として、靖国神社の前宮司である湯澤貞先生から「昭和二十年と平成二十年」と題する御話を頂きました。
次に決議採択(朗読は実行委員の石田和久)を行ひました。
聖寿万歳を世話人の森田忠明の先導により全員で声高らかに唱へ、閉式となりました。


本式典は来年、第25回となり、ある意味では一つの節目といへます。
その記念すべき式典を来年に控え、決意を新たに致しました。
2月11日が「建国記念の日」から「紀元節」と、名称と意義が正され、国家主催の奉祝式典が開催される日まで、紀元節奉祝の国民運動に挺身することを誓ひ、戦後体制に立ち向かふ闘志を燃え上がらせてをります。
同志同憂の皆様方の今後益々のご支援ご協力のほど宜しくお願ひ申し上げます。

【三澤浩一】


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決議

一、人皇初代 神武天皇の「天業恢弘・八紘為一」といふ肇国の理念は、日本悠久の大使命である。我らはこの理念に思ひを致すと共に、平成の大御代の隆盛を祈念し、使命達成に奮迅健闘する。

一、紀元節は、明治維新における「諸事 神武創業ノ始ニ原キ」の精神を集約した祝日である。我らは明治維新の理想を今日に受け継ぎ、回天への決意を新たにする。

一、二月十一日は、占領下に廃止された「紀元節」を取り戻さうとする、心ある国民の広範かつ真摯な努力により、復活した祝日である。我らは紀元節復活運動に挺身敢闘された先人の偉業を顕彰し、その志の継承を誓ふ。

一、福田内閣の成立は洵に憂ふべき事態である。教科書検定における「沖縄集団自決」の問題も、その一つだ。さらに外国人参政権や人権擁護法案など亡国政策が推進される危険がある。この非常時に際して、我らはあらためて祖国の栄光と悲哀そして復興の軌跡を顧みつつ、真姿日本の顕現を目指し、道義国家再建へ粉骨砕身する。

一、本年は平成二十年である。来年は 天皇陛下御在位二十年となる。我らは衷心より奉祝申し上げると共に、奉謝の赤誠を捧げ、皇統の無窮を祈念申し上げ、国体護持の信念の下、国体明徴のために力行懸命する。

右、決議する。

平成二十年二月十一日

紀元節奉祝式典


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紀元節奉祝式典実行委員会(代表・三澤浩一)
〒170-0003
東京都豊島区駒込6の27の11
電話03-3918-9524
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2024/


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2007年10月13日

《10/10緊急行動ご報告》

《10/10緊急行動ご報告》


10月10日(水)に「日本国政府の北朝鮮に対する経済制裁を支持する国民行進」および「有事に備える防災訓練」を実施しました。
緊急な呼びかけの上、平日の昼間という悪条件が重なったにもかかわらず、約100名の方々の参加を得ましたことは、誠にありがたい限りに存じます。
また関東のみならず、関西や中部からも参加していただき、呼びかけた1人として恐縮しております。
行進の集合および出発の場所となる常盤公園(中央区日本橋本石町4の4の3)には、午後1時集合との案内にもかかわらず、午前中から何人もの方が来られておりました。
国を憂える同志の皆様の熱誠には感激することばかりです。
午後1時10分となり、国民儀礼、決議(激励)の採択、行進上の注意、シュプレヒコールの練習を行った後、午後1時30分に出発しました。
常盤公園を出発〜呉服橋〜八重洲中央口前〜鍛冶橋〜城辺橋を左折〜水谷橋公園に到着と、主に外堀通りを歩きました。
「北朝鮮に対する経済制裁を支持するぞ」「朝鮮総連は解体せよ」「反日朝鮮人を追放せよ」「金正日を打倒するぞ」「拉致被害者を奪還するぞ」「共産主義を撲滅するぞ」という雄叫びは、東京の中心街に轟き、道行く人々の共感と支持を集めました。
解散場所に到着した後、各地から来ていただいた方々などからの連帯の挨拶、シュプレヒコール、総括を行い、午後2時30分に終了、解散しました。
防災訓練に参加する方々は解散の後、それぞれが自動車などで訓練の会場となる盤橋公園(千代田区大手町2の7の2)に向かいました。
午後3時から、地元消防署のご指導の下、約50名の有志が参加して、防災訓練を行いました。
訓練用の消火器を使用するだけではなく、消防車も出動しての本格的な訓練となり、有事に備えて非常に有効だったと存じます。
訓練の後、地方から来られた方々を中心にした有志が靖国神社に参拝しました。
代表団は午後5時に内閣府に赴き、決議として採択された激励文を担当官を通じて内閣総理大臣に提出しました。
なお、当日は朝鮮総連の反日デモが日比谷公園から出発しております。
3月に行われた反日デモは日比谷公園を出て新橋を通過してから、主に外堀通りを歩き、常盤橋公園で解散しました。
そのため、今回は我々と反日分子との激突が危惧されました。
しかし、朝鮮総連は強硬な姿勢を取るという虚勢を張ってはみたものの、日本人の勇気と信念に恐れをなし、反日デモのコースを大幅に短縮変更して、我々との激突を避けました。
100名の勇敢な日本人の前には、3000名の反日朝鮮人なぞ逃げるしか方法はなかったのでしょう。
この姿を見ると、彼らに対する怒りは消え失せ、哀れみすら感じてしまいました。
今回の緊急行動は危険が伴う可能性が大きかったのもかかわらず、多くの方々が参加してくれました。
勇敢なる同志の方々に感謝と尊敬の意を表します。
【三澤浩一】


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2007年10月10日

《北京オリンピックボイコット国民大会に参加して》

《北京オリンピックボイコット国民大会に参加して》


北京オリンピックボイコット国民大会が、10月8日(月/体育の日)午後5時から東京都渋谷区にある宮下公園において、民族派青年有志の呼びかけにより開催された。
案内については先述した通りである。
日中は断続的に降っていた雨もあがり、曇り空の下、暑くもなく、寒くもなく、絶好の野外活動日和(?)といえる夕暮れの中、300名の人々が参加して、大会が始められた。
国民儀礼、世話人代表の挨拶、大会を後援している「9・9中共に物申す神奈川県大会」神奈川有志の会を代表する同志からの連帯の挨拶、「10・10緊急行動」の案内、決議採択と続き、シュプレヒコールを練習した後、デモ出発の準備に移った。
午後6時となり、国旗を先頭にして、「北京オリンピック反対」「日中国交断絶」「中国共産党打倒」「河野洋平糾弾」などと書かれている横断幕や幟、またはプラカードを掲げながら、デモに出発した。
また「台湾の国連加盟支持」という大きな横断幕もあり、注目を集めていた。
渋谷という都内でも有数の繁華街、しかも休日の夕方である。
老若男女を問わず、凄い人混みだった。
その街の中を「北京オリンピックボイコット」を声高らかに叫び、堂々と行進する姿は勇ましく、また清々しく感じた。
渋谷の街をグルリと廻り、午後7時すぎに宮下公園に戻り、大会を後援している「9・29反中共デー東京大会」を代表する同志からの総括、シュプレヒコールを行い、大会は終了し、解散した。
このたびの大会には日本人だけではなく、中国民主化を目指す中国人も、台湾正名を目指す台湾人も参加してくれたと聞いている。
アジアの連帯を志す民族派陣営の末席に連なる僕としては、彼らの参加は大歓迎すべきことである。
なお、大会に先立ち、午前11時から午後4時30分まで、渋谷駅のハチ公前において、マラソン演説会が開催された。
20名を超える弁士たちが熱弁を奮い、道行く人々の共感と支持を集めていた。
この「北京オリンピック国民大会」は、若い人々が世話人をつとめて実行された。
若い力を感じさせてくれる素晴らしい運動に参加することができ、誠に感激した。
お世話いただいた若き同志たちに敬意と謝意を表する次第である。
若い力が育っていることを心強く感じ、喜んでいる。
若い彼らの今後の活躍を期待する。
【三澤浩一】


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2007年10月03日

《第6回9・29反中共デー東京大会ご報告》

《第6回9・29反中共デー東京大会ご報告》


本年の「反中共デー東京大会」を開催するにあたりまして、大変お世話になり、ありがとうございます。
おかげさまにて、悪天候にもかかわらず、300名もの参加者を得て、盛大に挙行することができました。
謹んで御礼申し上げます。


第6回目となる本年は東京をはじめ、九州(福岡)、関西(大阪)、中部(名古屋)、東北(仙台)と、全国各地において、9・29反中共デー闘争を展開できました。
それぞれが野外集会、徒歩や車輛のデモ、中共大使館や総領事館の前における糾弾演説など、多種多様な運動を繰り広げました。
昨年まで「9・29反中共デー神奈川大会」が行われていた神奈川県では、9月9日に「中共に物申す神奈川県大会」を開催、400名もの人々が参加しました。


東京大会は港区六本木の三河台公園に300名が集合、野外集会と徒歩行進を行いました。
決起集会は午前11時に開始され、国民儀礼、9・29反中共デー宣言、共闘委員会挨拶、東北・中部・関西・九州の各大会からの連帯声明、大会決議、10月8日に開催される「北京オリンピックボイコット国民大会」の案内、デモの注意、シュプレヒコールが行われました。
正午になり、デモに出発しました。
デモのコースは三河台公園を出発〜(六本木通り)〜西麻布の交差点を左折〜(外苑西通り)〜天現寺の交差点を右折〜広尾公園に到着と、中共大使館の周辺です。
高々と掲げられた大きな国旗を先頭にして、威風堂々とした行進は、多くの人々の共感と支持を得たものと信じます。
「9・29反中共デー」をはじめ「打倒中国共産党」「日中国交断絶」「中華覇権主義排撃」「まもれ!尖閣諸島」というスローガンの幟のほか、「北京オリンピックボイコット」「台湾の国連加盟支持」等々それぞれの主張が書かれた横断幕やプラカードもありました。
毎年のことですが、我々民族派だけではなく、いろいろな立場の人々が参加していたことが分かり、心強く存じます。
午後2時時30分頃から総括集会を開始、総括、シュプレヒコールを行い、3時には終了しました。


大会が終了した後、有志らが、中共大使館まで参りました。
何人かは大使館の正門前において、短時間ながらもハンドスピーカーを用いての糾弾演説を行うことができました。
厳戒態勢ともいえる過剰警備を突破しての行動は、我が国の媚中派政権だけではなく、中共そのものに対しても、中共糾弾の声を轟かせたはずです。


我々は今後も全国の同志と連帯して、勝利の日まで戦いつづける覚悟です。
西郷隆盛〜頭山満〜内田良平の道統を受け継ぐと自負する我々は、日本国内の同志だけではなく、台湾の独立や正名を目指す人々、チベット・東トルキスタン・南モンゴルの解放を目指す人々、「中国」民主化を目指す人々とも力を合わせて、中共を打倒したいと願っております。
これからもご支援ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。


なお、10月8日(月/体育の日)午後5時から渋谷区の宮下公園において「北京オリンピックボイコット国民大会」が、若手の有志によって開催されます。
本委員会も後援として、出来る限りの協力をしてまいりますので、宜しくお願い申し上げます。


10月2日(火)には代表団が内閣府に赴いて、大会で採択された内閣総理大臣宛の決議文を提出いたしました。
決議は下記の通りですので、ご参照下さい。


【三澤浩一】


☆☆☆☆☆☆☆


決議

本年は、明治10年9月24日に大西郷こと西郷隆盛先生が城山で自決されてから130年となる。
西南の役・大西郷130年祭の本年、日本人は『大西郷遺訓』にある「正道を踏み、国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に萎縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受くるに至らん」「国の陵辱せらるるに当たりては、縦令国を以て斃る共、正道を踏み、義を尽すは政府の本務也」という言葉を思い起こすべきである。
そして、北京オリンピックを来年に控える今こそ、中華人民共和国との外交を再考しなければならない。

昭和47年9月29日、我が国は中共との国交を樹立した。
35年の年月が過ぎたが、両国の関係が正常かつ友好的であった事はない。
靖国神社に対する冒涜、歴史教科書への介入、尖閣諸島への侵犯、東シナ海における海底資源の盗掘、我が国の領土である沖ノ鳥島の存在の否定…など。
我が国に対する中共による主権侵害や内政干渉が繰り返されている。
さらに中共は、我が国からのODAや円借款など多額の経済援助によって、軍備を増強し、我が国をはじめ周辺諸国に軍事的脅威を与えている。
核兵器を保有し、有人ロケットを飛ばす国に経済援助は必要ない。
「反日」「共産」「中華」の3悪国家である中共は、我が国にとって明確かつ危険な敵国である。
我が国は、中共による侵略という重大な危機に直面している。

我々は草莽の有志として、この祖国の危機を坐視する事は断じて出来ない。
9月29日は「日中国交正常化」を祝う日ではない。
中共との国交断絶を願い、闘いを誓う日である。
9・29反中共デーの旗の下、我々は「打倒中国共産党」「日中国交断絶」「中華覇権主義排撃」「まもれ!尖閣諸島」を目指して、起ち上がった。

我々は、日本国政府の代表である内閣総理大臣に対して、次の事項を要求する。

1、中華人民共和国との国交を断絶する事

1、前項の実現まで、我が国の主権と安全を守る為、次の13点を速やかに実行する事

@靖国神社に正々堂々と正式かつ公式に参拝する事

A国立戦歿者追悼施設の建設計画の中止を国の内外に宣言する事

B尖閣諸島および沖ノ鳥島の防衛に全力を尽くす事

C中共との防衛交流を即時中止する事

D東シナ海における海底資源の盗掘を阻止する事

E教科書検定における「近隣諸国条項」を撤廃する事

F中共へのODAや円借款など全ての経済援助を中止する事

G所謂チャイナ・スクールをはじめとする売国的外交官を追放する事

H中華人民共和国の国民に対する査証の免除を取りやめ不良「中国」人を追放する事

I北京オリンピックをボイコットするよう日本オリンピック委員会に指導する事

J南京をはじめ各地に建設されている抗日記念館の歴史歪曲を是正させる事

K中共による侵略、弾圧、虐殺、脅威に苦しむアジア諸民族との連帯を表明する事

L危険な中共製品を禁輸する事

我々は、正義武断の名において、勝利の日まで闘う事を宣言し、ここに決議する。

平成19年9月29日

第6回9・29反中共デー東京大会


☆☆☆☆☆☆☆


9・29反中共デー東京大会共闘委員会

秋山一成・荒岩宏奨・石田和久・板倉淳一郎・市村悟・伊藤満・遠藤雅三・大口富美幸・大熊雄次・小曽戸清裕・岡田浩・鹿島政晴・加藤順一・鎌田泰弘・河原博史・菊池慶雄・工藤正也・小針政人・志村馨・鈴木信行・竹内恒夫・徳竹尉匡・内藤芳弘・中野順二・長谷勇二・針谷大輔・平野裕一・福田和久・福田邦宏・舟川孝・三澤浩一・水谷浩樹・皆川義隆・村松秀昭・森浩二・柳川優・山口一夫・山口秀明・山田一成・横山孝平・吉田誠司・吉本蓮巳・渡邉淳司・渡邊智洋
(新仮名五十音順)

事務局
近藤勝博・中川幸右基・三澤浩一
TEL/FAX03-3918-9524(三澤方)


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2007年02月26日

《第23回紀元節奉祝式典》


皇紀2667年の本年も、神武天皇肇国の古を偲び、紀元の佳節である2月11日(祝/日)の午後1時30分から、東京都千代田区永田町にある星陵会館において、第23回紀元節奉祝式典を挙行いたしました。
会場が満席となる400名もの方々にご参列いただき、誠にありがとうございます。
謹んで御礼申し上げます。
簡単ではありますが、下記のとおり、ご報告を申し上げます。


開式に先立ち、皇居を遙拝、橿原神宮を遙拝、国歌を2回斉唱いたしました。
司会をつとめる鈴木信行実行委員が開会を宣して、紀元節奉祝式典がはじめられました。
司会と典儀が進行を交代して、紀元節祭が厳粛に斎行されました。
斎主は福永武実行委員、祭員は高澤一基実行委員、典儀は大東会館学生寮の清水建志寮生がつとめました。
まず修祓の儀、つぎに降神の儀、つぎに献餞の儀、つぎに祝詞奏上、つぎに神武天皇即位建都の大詔が石田慎実行委員により奉読され、浦安の舞が神楽歌舞所の安藤美保嬢により奉納、紀元節の歌を参列者全員で奉唱いたしました。
つぎに玉串奉奠となり、斎主にあわせて祭員一同、祭主(紀元節奉祝式典実行委員会代表)にあわせて実行委員一同、講師の村松英子先生、小説家の郡順史先生にあわせて参列者一同が参拝いたしました。
つぎに撤餞の儀、つぎに昇神の儀、つづいて斎主祭員退下により、紀元節祭は滞りなくつかえまつりました。
つぎに主催者代表挨拶として、紀元節奉祝式典実行委員会代表の三澤浩一が挨拶を述べました。
つぎに記念講演となり、村松英子先生(女優・随筆家)から「私たちの文化」と題するご講演をいただきました。
つぎに決議(下記)の採択となり、荒岩宏奨実行委員が案文を読み上げ、満場一致の拍手による賛同を得て、採択されました。
聖寿万歳となり、大東会館学生寮の細見祐介寮長の先導により、参加者全員で声高らかに、天皇陛下万歳を三唱いたしました。
さいごに司会が閉式を宣して、本年の紀元節奉祝式典は無事に終了いたしました。


本年も、ご参列をいただいた方々、ご協賛をいただいた方々、数多くの皆様方のおかげさまをもちまして、紀元節奉祝式典は成功いたしました。
謹んで御礼申し上げます。
なお、本年は近隣にある社会文化会館なる左翼の巣窟において、全教なる輩どもが大規模な集会を開いていたため、永田町周辺に異常なまでの警備態勢がとられておりました。
にも関わらず、事故なく開催できましたことは、皆様方のご協力によるものと重ねて感謝申し上げます。
ありがとうございました。


紀元節奉祝式典実行委員会代表
三澤浩一


☆☆☆☆☆☆☆


決議

一、人皇初代神武天皇の「天業恢弘・八紘一宇」といふ肇国の理念は、日本悠久の大使命である。我らはこの理念に思ひを致すと共に、平成の大御代の隆盛を祈念し、使命達成に奮迅健闘する。

一、紀元節は、明治維新における「諸事 神武創業之始ニ原キ」の精神を集約した祝日である。我らは明治維新の理想を今日に受け継ぎ、回天への決意を新たにする。

一、二月十一日は、占領下に廃止された「紀元節」を取り戻さうとする、心ある国民の広範かつ真摯な努力により、復活した祝日である。我らは紀元節復活運動に挺身敢闘された先人の偉業を顕彰し、その志の継承を誓ふ。

一、昭和天皇の御誕生日である四月二十九日は、本年からは「昭和の日」となる。我らは祖国の栄光と悲哀そして復興の軌跡を顧みつつ、真姿日本の顕現を目指し、道義国家再建へ粉骨砕身する。

一、秋篠宮家の御慶事を謹みて拝賀申し上げる。我らは神洲の不滅を確信し、国体護持の信念の下、天壌無窮の皇運を扶翼し奉るために力行懸命する。

右、決議する。

平成十九年二月十一日

紀元節奉祝式典


☆☆☆☆☆☆☆


紀元節奉祝式典実行委員会
〒170-0003
東京都豊島区駒込6-27-11(三澤浩一)
電話03-3918-9524
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2024/
kigensetsu@ara-suteki.jp


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2007年02月19日

《向井敏明・野田毅両少尉慰霊祭および報告集会》




向井敏明・野田毅両少尉のご命日である一月二十八日、今年も両少尉が合祀されている靖国神社において慰霊祭を挙行した。
昭和二十三年に無実の罪で銃殺されてから、五十九年祭になる。
昨年十二月二十二日、最高裁が不当な決定を出したことにより、冤罪を雪ぐことができないまま、来年は六十年祭を迎えることになるであろう。
祖国に殉じられた英霊に対して、誠に申し訳ない限りである。

一月二十八日(日)、午後一時三十分の集合までに百余名の参列者が、靖国神社の参集殿に集まった。
本会の顧問である名越二荒之助先生が資料を駆使した特別講義をしてくださった後、原告および弁護団を先頭にして拝殿に昇った。
向井敏明少尉の次女である千恵子さん、野田毅少尉の妹であるマサさん、弁護団長の高池勝彦先生、本会顧問の名越二荒之助先生、そして本会の阿羅健一会長が参列者を代表して、玉串を奉奠した。
両少尉をはじめとする英霊へ感謝と哀悼の誠を捧げるとともに、祖国の復興に力を尽すことを誓った。

昇殿参拝の後、靖国会館において報告集会を開催した。
時間の許す限り質問や意見を受けるように理事会で決めていたので、開会の時間を予定の三時から三十分ほど早めた。
開会に先立ち、国歌の斉唱を行なった。
はじめに開会の辞を兼ねて、阿羅健一会長が挨拶を述べた。
つぎに弁護団を代表して、高池勝彦先生から裁判についての報告と説明を行なっていただいた。
つぎに弁護士の小沢俊夫先生が紹介された。
つぎに原告の向井千恵子さんと野田マサさんが、それぞれ挨拶をされた。
お二人とも無念の涙を流しながらも、今までの支援に対する感謝の言葉を述べられた。
つぎに本会の相澤宏明事務局長が報告と連絡を行なった。
裁判は終了したが、まだやらねばならぬことがあるため、今後の活動についての報告となった。
今後の活動は三点(下記)を核として、請願までは本会の活動を存続することが報告された。
この後、出席された方々からの質疑の応答と意見の拝聴を行なった。
十分に時間を確保したので、挙手された方の全てを受けることができた。
おわりに本会顧問の板垣正先生が閉会の辞を述べられた。
挨拶というよりも叱咤激励というべき板垣先生の闘魂が燃え上がる檄により、元気づけられて、報告集会は終了した。

我が国と中華人民共和国との国交が樹立してから、今年で三十五年となる。
日中友好を唱えながら、政府の高官だけではなく、与党や野党の要人たちも、「中国」の言うがままになっている。
行政府も、立法府も、「中国」に媚びているのが、我が国の惨状である。
そして、司法府すらも「中国」に媚びる時が来たのか。
いわゆる「南京事件」なる虚構から七十年とされる今年、祖国の尊厳を守るため、先人の名誉を守るため、歴史の真実を守るための戦いは正念場を迎えている。
祖国を復興させるため、今日の敗北や屈辱を糧として、明日の勝利と栄光に邁進しなければならない。
火中に飛び込み、手負いとなろうとも、猪突猛進すべき年である。


☆☆☆☆☆☆☆☆


今後の活動について

一、現在展開している「中国南京大虐殺記念館の向井・野田両少尉の写真撤去に関する請願」の署名活動は継続すること。

一、衆議院議員の平沼赳夫先生を会長とする国会議員連盟の旗揚げは、平沼先生の体調回復を待って行なうこと。

一、訴状、書証、判決などを取りまとめて、資料集を刊行すること。


☆☆☆☆☆☆☆☆


百人斬り訴訟を支援する会(会長・阿羅健一)
〒102-0093
東京都千代田区平河町2-16-5-302(高池法律事務所気付)
TEL.03-3263-6041
FAX.03-3263-6042
http://www.mukai-noda.com


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2006年12月11日

《百人斬り訴訟を支援する緊急集会》

《百人斬り訴訟を支援する緊急集会》


平成18年12月11日の午後1時から衆議院第2議員会館の第1会議室において、百人斬り訴訟を支援する緊急集会(主催/百人斬り訴訟を支援する会)が開催されました。
月曜日の昼間という時間設定の上、緊急な集会だったにもかかわらず、150名もの方々に参加していただき、立ち見をされる方が多く出るほど盛会となりました。
主催者の一人として、謹んで御礼申し上げます。
ありがとうございました。続きを読む
posted by 丸三家パスタ at 22:35| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 三澤浩一「連帯と孤立」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

《第2回「守れ!わが領土」国民決起集会》

《第2回「守れ!わが領土」国民決起集会》


−黙っていたら、領土は奪われる!−


第1回(7月11日)に引き続き、第2回となる「守れ!わが領土」国民決起集会を、11月15日(水)の午後6時30分から東京・永田町の星陵会館において開催しました。
250名を超える方々のご参加を得まして、盛会のうちに無事に開催できましたのも、多くの皆様のご協力によるものであり、主催者の末席に連なる一人として心より厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
続きを読む
posted by 丸三家パスタ at 23:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 三澤浩一「連帯と孤立」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

《堀米正廣同志の義挙を支持する全国集会》

《堀米正廣同志の義挙を支持する全国集会》


8月15日に「反日」「売国」「媚中」の国賊である加藤紘一代議士に炎の制裁をくだした堀米正廣同志を支援するため、〔堀米正廣同志の義挙を支持する全国集会〕を11月12日(日)午後7時から東京都江東区の「ティアラこうとう」において開催いたしましたところ、北は北海道から南は九州・沖縄まで全国各地の民族派同志1000名の参加者を得まして、盛大のうちに無事終了いたすことができました。
これも皆、同志の皆様のご協力の賜物と、発起人の末席に連なる一人として謹んで感謝申しあげます。
ありがとうございました。

主催者の予想を超える1000名もの皆様にご参加いただきながら、事務局の不行き届きによる失礼のだん多々ありましたことと存じます。
ご海容のほど宜しくお願い申しあげます。

集会につきまして下記の通りご報告申しあげます。
続きを読む
posted by 丸三家パスタ at 17:14| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 三澤浩一「連帯と孤立」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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