応援声援頂きました事に感謝致します。
長文になりますが今年の東京マラソンを振り返ります。
二十六日土曜日
五時半起床。
0646浜松駅始発の新幹線で品川まで。

大好きな自笑亭の幕の内弁当
品川駅到着後、宿泊先へ荷物を預け1130に国際展示場駅へ。

また今年も来ました

大行列
出場者の受付は大変な人が並んでいて、
二〇分位かかりました。

ゼッケンナンバー受け取りはスムーズ

しかし会場内は激混み
名古屋から参加される友人から電話が入り合流。

小出監督
貴方はいいからQちゃんを
なんて思っていたところが、
谷川真理さんとすれ違って。
「頑張って下さい」
「出ないんですよ 頑張って下さい」
「あ はい」
お美しい。
写真撮り忘れた。
後の祭り。
残念。
大阪の知人の勤務会社を訪ねたら、
ウエストポーチを頂いてしまいました。
有り難うございました。
名古屋の友人と別れ、
蒲田でカーボローディング。
美登利寿司系列の回転寿司。
帰宅して一八時頃までアードヴェックを飲んで就寝。
本日の戦利品

上は頂いた伸縮性の生地で作ったウエストポーチ。
左は汗を拭うのに適した手袋というか手につけるもの二〇〇〇円。
右はミドリ安全の塩熱飴六〇〇円
二十七日
四時半起床。
肝心の天気だが、
昨日、雨から曇りに変わり、
本日は昼は晴れ間になるとも。
これで俄然やる気が出てきた。
最高気温一八度の予報なので、
上はCW-Xの長袖の上にTEAM64のTシャツとフランクショーターのウインドブレーカーに決定。
饂飩を食べ、
アクエリアス500ml一本とアミノ酸摂取。
六時出発。
七時前に新宿駅中央西口到着。
既に大群衆が都庁に向かっている。

國の子評論社の方々
なんでも昨夜から市ヶ谷駅近くの有料駐車場に街宣車を駐めてくれているとのこと。
有り難うございます。
名古屋の友人が少し遅れるとの事なので、
申し訳なかったが先に会場へ向かう。

出走者しか入れない会場内
此処で恒例の用便タイム。
まだ並んでいない簡易トイレを見つける。
いつもそうだが、
この時間に並ぶことなく用便できるかどうかで精神的にかなり違う。
0830までが荷物預けの時間。
0815にグレゴリーの3wayバッグを預けスタートブロックへ移動。
一〇〇円合羽二枚重ねに一〇〇円マフラー、ニット帽で防寒。
一〇分近くかかった。

スタートブロック

出発前の一枚
0854からセレモニーが始まり、
司会者が「初めて参加する人は拍手をお願い致します〜」
「二回目の人〜」
「三回目の人〜」
段々少なくなり、
「四回目の人〜」
で、まばらもまばら。
「五回目の人はいますか〜」
に、「はあ〜い〜!!!!」と両手で挙手をしたら、
周囲のランナーから驚きと賞賛の声があがりました。
都知事の挨拶に続き国歌斉唱。
司会者の脱帽との指示に少なくとも私の周りのランナーは従っていました。
しかし歌っているのはいなかったようでしたが。
0910号砲。
一枚合羽を脱ぐ。
六分後にスタートラインを超える。

大ガード下へ向かう大集団。
映画のロケでもこの迫力は出せないといつも思う。
体が温まり合羽を捨て、
マフラーとニット帽を手に持つ。
市ヶ谷駅手前でTEAM64の皆さんの應援團から声援を。
有り難うございました。
持っていたマフラー、ニット帽を渡す。
市ヶ谷駅を超えて大きな日章旗を掲げた街宣車から声援メッセージ。

周りのランナーは驚いていましたが、
有り難うございました。

ところで、走り始めてすぐに右膝窩に違和感があり、
通常なら段々痛みが強まり麻痺して歩けもしなくなるので、
無理をしないよう30kmまではq6〜7分と決める。
でも最初の5kmは29分ですね。
どんどん抜かれるがあせるなあせるなと言い聞かせながら走る。
それでも右足に体重をかけると一瞬力が入らずぐらっとする事がある。
まだ駄目だよ〜、もう少しもってね〜と呟きながら走る。
10kmで61分。
好い感じ。
20kmで122分。
好い感じだが、右足は相変わらず何時痺れてもおかしくない状態。
これは筋肉ではなく神経に問題があるのかも。
品川折り返し前でウインドブレーカーを脱ぐ。
晴海通りに入って市ヶ谷から移動して来た業界の應援團から声援。
脱いだウインドブレーカーを渡す。
20kmを超えてセブンイレブンで初めての用便。
結局ゴールまで後は行きませんでした。
20kmを超えてから給食も始まる。
此処まで給水は必ず摂ってきたが、
用便のついでにバナナを一切れ。
加えて暑くなってきたので塩熱飴も噛み砕いてアミノバリューと一緒に摂取。
この用便タイムでこの区間の5kmが34分に。
それでも空いていて一人しか待たなかったんだけど。
一旦休んだら右足の痛みも少し軽快。
遅れを取り戻そうと速度をあげたので、
次の5kmは32分まで戻したが、
反動でその次の30〜35kmは35分まで落ちた。

やっぱりこの辺が一番厳しかった。
それでも30km地点では、
あと佐鳴湖2周ぢゃないかと思う事で、
残りは大した距離ぢゃないと思い込んだ。
35km手前で再び業界の應援團の方々と。
有り難うございました。
しかし此処では笑顔が出ず厳しい表情だったと思う。
銀座を超えて晴海へ入る手前から橋のアップダウンが続くが、
登りはさほど苦にならないものの、
下りは大腿四頭筋がきつかった。
でもブレーキをかけないよう重心を前にして惰性で下るように走る。
38kmか39km地点で、
TEAM64の應援團からまさかの声援。
これで気合いが入った。
有り難うございました。
これ以降きつくなると「おぉ〜」「くそぉ〜」と叫びながら走った。
すると何故か痛みや苦しさが一時軽減するのですね。
周囲のランナーは、
うるせ〜な〜と思ったでしょうが。
39kmであと佐鳴湖半周だ、もうすぐだね。
40kmを超えてからは、
もしかしたら自己記録を更新できるかもと、
最後の速度上げ。

最後の2kmはまたq6分台に戻した。
4'36"01
これが五回目の東京マラソンの結果でした。
完走メダルやタオル、蜜柑やバナナを貰い、更衣場へのろのろと移動。
右膝が痛い。
それでも最後までもってくれた。
着替えて業界應援團と合流。

街宣車で新橋まで送って貰った。
有り難うございました。
新橋の焼き鳥屋でお疲れさん会。
那須の友人による生活に直結したTPP談義に納得。
完走した名古屋の友人も合流し、
二十一時頃解散。
お疲れ様でした。
最後に今回記録更新できた理由を挙げてみる。
1 天候
これが一番大きいのでは。
雨の日は走りたくありません。
2 30kmまでは抑えたつもりで走った。
そういってもそれ以降もずるずる後退していったが、
下げ幅を最小限にできたと思う。
3 二月は殆ど走れなかったが、
夜のバイトの時に足の加圧トレをしていた。
適度に刺激を与えていたのが好かったのかも。
4 脱水症状にならないよう、塩分補給に留意した。
5 やっぱり応援の力って凄いですね。
6 走り方をいろいろ考えてみた。
蹴らない、着地はアウトエッジ、股関節外旋等々、
直前に読んだ「運動選手なら知っておきたい「からだ」のこと」が役に立ったと思っている。
7 出走前の保温対策
毎年毎年30分あまり寒さに震えながら待っていて尿意が高まり、
先ずゴールデン街の公衆便所に向かい、
その後も2回は用便に行っていましたが、
今年は合羽二枚マフラーで寒さを感じる事はなかったので、
1回だけで済みました。
タイムロスも考えると大きいです。
スタート後も合羽一枚は暫く着ていました。
スタート前は団子状態なのですが、
動き出すと「寒い寒い」という声がそこかしこから聞こえました。
さてと…
もう来年の東京マラソンは当選しない気がしています。
五回目にしてやっと一度も歩く事なく最後まで走れました。
これをやらせる為に今まで当選させてくれていたのではないかと今は感じています。
勿論応募はしますが…
最後に皆さん有り難うございました。